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古川敬子さん 高4回卒

「応援歌」の作詞者とお出会いして

クラス会の報告に来られた方から、偶然にも「応援歌」の作詞者の方が同じクラスで元気にしておられると聞き、当時の話を聞きたく連絡を取り120周年に向け記念誌作りに取り組まれている準備委員長の上垣先生と稲葉先生と共に川西市にあるサンシティパレス塚口(介護付き有料老人ホーム)に出向きました。着くなり広大な敷地内に建つ老人ホームの建物にただ驚くばかりでした。

当時の話を聞くと言うことから友達3人(今中・吉田・坂西)を呼んで戴いており、四人から当時の懐かしい話に時間を忘れて聞くことが出来ました。

私はホームページの取材が目的でしたので、古川さんいついて紹介します。敗戦後の食糧物資不足等の体験をしながら旧制最後の女学校に入学、その後の学制改革で併設中学校と名を変え更には有馬高校となり6年間同じ学び舎で過ごされたそうです。学生時代の楽しい思い出は4人の方々の話からいろいろ伺えました。特に古川さんは民主主義と言う言葉に新しい時代の到来を実感され平和の申し子になろうと、生徒会や行事・クラブ(文学)に積極的に取り組まれました。学校もスタートしたばかり、校歌や応援歌を作るため作詞の応募があり、応募されたところ見事採用され「応援歌」となりました。

本人は3年生だったのであまり歌う事がなく卒業されたそうです。私は学生の頃「ここ北摂の一角に‥」を何回と歌い今も歌詞を見ないで歌う事が出来ます。

卒業後は、神戸大学(2年生)に進学、卒業後は川西市内の中学校の国語の教師としてスタート、そして、同職の主人と結婚、そしてさらに文学方面の勉学に励もうと51歳で退職、再度神戸大学に入り。いろんな科目単位修得に12・3年通われ沢山の単位を修得されました。それと共に並行してYWCA専門学校で文部省認定の日本語教師として日本語を教えておられました。その後は、派遣教師として国際交流センターで夜にボランティアとして教えたりされています。

主人が亡くなられた後、将来のことも考え何もかもが相整った老人ホームに入所されました。施設設備の充実した老人ホームで好きな文学に取り組み余生を送ることに満足感を感じておられました。

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(執筆 谷郷賢明)