今年は早くも酷暑となった7月に清陵会館に来ていただき取材をしました。話の途中で防災訓練の放送が入り中断するというハプニングがありましたが、それも高校時代を思い起こす一つの話題となり、卒業アルバムを見つつ話が弾みました。

高校時代の想い出
 中学生の時に有馬高校の総合学科に福祉系列のコースがあるので入りたいと思ったのと、母親が介護の仕事をしていたことで有馬高校を選びました。
私達の学年は12クラスあり総合学科が始まってから2年目で、吉川先生は1年生の時担任で、土井先生は3年生の担任でした。土井先生は優しく導いてくださって、クラスの雰囲気は男女共に仲が良い明るいクラスでした。総合学科の福祉系列の授業を受けて、福祉・介護・保育・手話等も勉強し、カバンを持っての移動教室で授業を受け、他のクラスの友達も出来て視野も広がり興味があった分野なので興味を持って学ぶ事が出来た。
 授業と部活とマクドナルドでアルバイトをして、楽しく充実した学校生活を過ごした。
サッカー部のマネージャーを3年間し、顧問は1・2年生の時は大前先生・垣内先生で3年生では三輪先生だった。サッカーの部員人数も多く近隣の高校へ練習試合に行くバスの中はワイワイと楽しかった。夏はランニングのタイムを計り、麦茶を作り喉の乾きを潤す準備や、冬は雨でも練習試合をするので擦り傷の手当や試合スコア表をつけ、少しでも温めてほしいので温かい紅茶やおしぼりを作たりと色々な仕事をした。
 現在もサッカー部の友人と時々会っておしゃべりしたり、美味しいもの食べたりと仲良くしています。現在は落語家として活躍している関岡くんも同級生でサッカー部でした。体育祭はクラスTシャツを作り、リレーや応援合戦もした。アルバム写真を見ると体育祭での笑顔と元気いっぱいの様子が懐かしくて、みんな仲良くいいクラスだったと思う。今は仕事と家庭とで思い出すことも少ない想い出が甦りました。有高祭では。レンタルで鉄板やボンベを借りてホットドッグの屋台をした。他のクラスの教室を見て回り、部活仲間のバンドを聞きに行き、仲の良い友人は交友関係が広く、この友人を通じての友達ができ楽しい時間でした。

 修学旅行はシンガポールとマレーシアで、マーライオンが意外に小さくてびっくりだった。特に夜のクルーズが思い出されます。現地の大学生と一緒にグループで各地を巡りプリクラを一緒に撮った。屋台で喜び勇んで注文したのだが、パクチーとか香辛料が強くて匂いにやられてしまい、初めての味と香りだったので衝撃が強く「ワー」となって食欲がなりました。今でもパクチーは苦手です。修学旅行が人生初めての海外旅行だったので何しても見ても聞いても珍しく、思う存分楽しんだので忘れないと思う。

卒業後は
 大阪保健福祉専門学校で2年間勉強して、介護福祉士の資格を取った。卒業後は宝塚の山本にある介護老人保健福祉施設(エスペランサ)に就職して、通勤は電車で中山寺までそして自転車で20分かかり夜勤もあったので、後に車で通った。仕事では若い方が多い職場で4年間働いたが出産のため退職。
その後吉川病院の入浴介助の仕事をパートで半年して、次に正社員で介護福祉士として働き始めた院内保育園があったのが決め手でした。

仕事について
 朝は子ども二人を保育園に送り(朝は準備がたいへんですバタバタで)車で吉川病院へ到着。吉川病院のデイケアセンターはリハビリを行うために設けられた専門の施設です。まずワゴン車でお家にお迎えに行き。センターに到着後バイタルを測り(看護師さん)。朝の挨拶の後、簡単な体を目覚めさせる体操を行い、その後入浴・リハビリ(理学療法士さん・作業療法士さん)をしてから12時に昼食をとり自由に休憩し。午後は入浴の続き、リハビリ、デイ体操、レクレーションや毎日違う内容のイベントを行っています「移動スーパー・回転焼き・アイスクリーム屋さん・おにぎり屋さん等」お世話になっています。その他にもスタッフによる「歴史の会・料理教室・体操教室・ステンシル・パウダーアート等」色々な催しを企画し、ご利用者様に楽しんでいただいています。15時におやつタイムそしてレクレーションもしくは自由な時間。16時過ぎに送迎バスで各ご自宅に送迎します。帰りは仕事が終わってからまた保育園に行きます。

これからの事を最後にお尋ねしました。
 高校生と2歳と4歳の子どもの成長がたのしみです。この仕事は15年目、うれしい言葉は「ありがとう」です元気が出ます。

 私は介護福祉士ですので、ご利用者様の入浴介助・トイレ介助・レクリェーションの提供など、一日を楽しく過ごしていただく為に日々頑張っています。この仕事は15年目好きな仕事なので楽しいです。