秋の叙勲で瑞宝双光章を授与されました
有馬高校を卒業して53年、気持ちは若いつもりですが随分歳を重ねてきました。担任の黒崎先生、岸本先生には熱心にご指導いただき大変お世話になりました。
修学旅行や3年生の体育祭が思い出に残っています。修学旅行は九州阿蘇方面でした。体育祭は3年9組VICTORYの看板、岸本先生がナポレオン将軍の仮装、みんなで浴衣を着て花笠をもって踊ったことが思い出されます。
仲の良い友達と楽しく過ごした高校生活でした。ただ大切な級友が急に亡くなり悲しい思いも残っています。
昭和47年3月に卒業し、神戸大学医学部付属看護学校に入学しました。小さい頃の夢でもなく、あこがれでもなかったのですが看護の道に進みました。医療に興味があったことと女性でも経済的に自立したいと考えていました。
看護学校は大学とは違い授業はびっしり、実習も大変でしたが無事卒業し実習先でもあった神戸大学医学部付属病院に就職しました。配属は心臓や肺の手術を受ける患者さんが入院される病棟で、50年も前のことですから心臓の手術後、患者さんが亡くなられるという悲しい思いをたくさんしました。6年間大学病院で勤務し看護師としての基礎を身に着けることができました。
昭和56年三木市立三木市民病院に就職、その後結婚、子育てと家族のサポートを得ながら仕事を続けました。
その間、看護部のトップを担っていくには大学卒の資格が必要と思い、通信教育の佛教大学社会学部社会福祉学科で学び卒業しました。また、看護管理者として認められるための研修(ファーストレベル・セカンドレベル・サードレベル)を受講、ファーストレベルは兵庫県で開催でしたが、セカンド・サードレベルは東京で約5か月、子供のことや病気の姉のことを心配しながらの受講になりました。
無事、認定看護管理者の認定を受け、これは兵庫県では第1号でした。また、平成15年に看護部長の辞令、平成20年副院長兼看護部長として、兵庫県の市民病院では看護職初の副院長に任命されました。
三木市民病院は老朽化し医師や看護師不足が急激に進みました。三木市単独で病院を立て替えることは財政的に困難な状況でしたので、神戸大学からの提案を受け三木市民病院は市隣りの小野市民病院と統合し、平成25年10月北播磨総合医療センターとしてオープンしました。
組織文化が異なる2病院です。医師は転勤には慣れており神戸大学から両病院とも派遣されていたこともあり診療は支障なくスタートしましたが、看護部は統合にあたり準備、統合後の運営と組織文化の違いにより大変な苦労がありました。
北播磨総合医療センターの副院長兼看護部長として、部下に助けら、看護部の理念である『患者の尊厳を守り信頼と感動の看護を実践します』を目指して取り組みました。そして、病院も落ち着いてきた平成29年3月定年退職しました。
退職後、民間病院の看護部長を経て、今は長く管理職をしてきた経験を生かし若い看護部長の補佐として働いています。
長く看護の仕事をしてきて、看護は本当に価値ある仕事だと思っています。看護という仕事は人の生死に関り、人生の中で一番苦しい辛い時に共に悩み、その人を支え励まし、その人自身が自ら病気を受け入れ、闘っていく過程に寄り添う仕事だからです。
看護職を長く続けることができ、令和5年秋の叙勲で瑞宝双光章を授与されました。これは、私と一緒に誠実に患者さんのために尽力してくれた職員たちと共に受賞したものです。これまでたくさんの人々に助けられ支えられた看護師人生でした。皆さまには深く感謝しこころよりお礼申し上げます。
