卒業して、早いもので半世紀以上すぎました。
 懐かしい学舎は、変わることなく私の心を癒してくれます。
家庭科専攻の私たちは、専門の授業は南校舎の木造校舎で受けていました。
 今は、県営住宅になっていますが女学校の跡で、屋敷町にふさわしい古風な学舎でした。
 御池の堤を歩き友と楽しく過ごしたことがとても懐かしいです。

入学式は新校舎に体育館が未だ建設されていなかったため三田小学校の講堂で行われたと記憶しています。
入学して、まもなく校歌を学んだ時、清家先生が「有馬の連峯の朝あけを さ霧静かに
はれゆきて 武庫の水上水脈光る 旧きをしぬぶ 北攝の・・・・・」しのぶでなく、
しぬぶと歌いますと、厳しく教えられたことです。
 今も間違いなく、しっかりと しぬぶと歌って当時を思い出し懐かしんでいます。

私は吉川町からの通学でしたから、田園の村からバスで旧三田市民病院前を下車して
七曜橋を渡り、満々堤を通リ通学したことも、楽しいひと時でした。
 
 部活動はバスケット部に専念し、練習もすごく頑張って丹有大会に行ったのに
一度も勝ったことがなく泣きながら帰ったことも思いでのひとつです。
 でも部活の曽田先生がとても優しく学校近くの官舎に住んでいたので、練習の後、バスの
時間まで友達と待たせてもらった事がとても嬉しかった部活動でした。

 修学旅行は2年生で神戸港から別府へ、長崎・熊本に行きました。
 当時、舟木一夫の「修学旅行」の歌が大流行した頃でした。
 三田を早朝の出発でしたから、三田の親戚に泊めてもらっての出発でした。
 なぜか出発の時、私達は楽しくてしかたがないのに友人のお父さんは送って来て泣くのです。
 今も,なぜかなと思いつつ、子どもを思う父の愛情だったのでしょうか。

当時、料理・洋裁・和裁などの家庭科の検定試験が行われていました。 
 私も、挑戦して先生に「もう出来たの、手が早いのね」と褒めて頂き、優秀な成績で終えたことが嬉しくて忘れられない思い出となりました。

卒業後は三田で就職し、結婚、子育てしながら三輪の交差点南側でガソリンスタンドの経営を夫と共に働き続け、現在は自分の健康第一に仕事を卒業して、心と身体を鍛えるため
太極拳に取り組んでいます。
 若い人たちを指導したり、デイサービスのお年寄りの方にボランテアしたり、三田太極拳協会事務局長をさせていただきながら、いつまでも自分の足で歩き周囲の人たちに迷惑をかけず、人と人とのつながりを大切に自立した日々を過ごしたいと思っています。

                                  (執筆 大沢辰美)