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私は三田農林学校第44回(昭和21年)卒業ですが、去る6月、卒業後58年ぶりに氷上町で有志によりクラス会を開きました。

話題は年齢相応に自分の健康状態とクラスメートの近況に加えて、私達の在学時代は第2次大戦中でしたので戦時体制下、講堂は軍需工場となり、運動場はサツマイモ畑になっていました。学習や実習など学校内での生活よりも学徒動員令により農家への勤労奉仕、山林での薪炭づくり、原野の開墾作業に従事しましたが、その中でのエピソードの数々を、一夜、楽しく語り明かしました。

縁あって、昭和61年4月母校へ校長として転勤の内示の際に「有馬高校は県下でも屈指の経営困難校である。学校経営の正常化に向けて努力するように」との指導を受けました。

辞令交付を受けて幾分構えて着任すると、玄関で多くの先生方が迎えて下さいました。その中に1年先輩の坂本 昴さん、1年後輩の清水 怜さん、酒造 保さんのお顔を拝見すると共に、「お帰りなさい」の言葉を聞いて、張り詰めていた気分が一気に楽になりました。 三人の先輩、後輩の先生方にはその後、学校活性化の上で格別にご協力を賜りました。

有馬高校を振り返る時、喜怒哀楽さまざまな想いが交錯しますが、その中でも清陵会館の竣工式におけるテープカットと共に、学校創立90周年記念式典が厳粛裡に進行し、また生徒諸君が受付・案内などの役割を分担し、その態度が素晴らしく良かったと来賓の方々から高い評価を受けたことが、ひときわ強く印象に残っています。

現在は、アルゼンチンタンゴをビデオやCDで視聴することや、カトレア、シンビジュームなどのラン栽培を生き甲斐とし、時には文楽・歌舞伎を鑑賞したり或いは全国各地の詩碑・歌碑・句碑を歴訪することを楽しみに、「春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし」の心境に近い生き方ができればと願っております。

朝夕、武庫川の河川敷公園を散歩し「みなかみ はるかな武庫のみお」の彼方の母校やふるさとを懐かしみながら元気に過ごしております。

(中北 勝)