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中村 幸司さん (有高28回)

和菓子職人として地域振興に奮闘中

2006年に恐竜の化石発見で全国の注目を集めた丹波市山南町で和菓子三喜屋の三代目として頑張っておられる中村さんを尋ねました。
店内に入るとまず恐竜の模型、そして丹波竜をモチーフにした饅頭や焼き菓子が目に入りました。
さっそくお話をお聞きすることに。一年生の時は担任が米田先生で、二年生三年生と藤原先生でクラスの皆が真面目でおとなしく、とても良いクラスだったそうです。
ただ国鉄を利用して一時間の通学時間が長かったのが大変だったとか。有高での思い出は九州への修学旅行など色々と有りますが、体育祭の時に皆で作ったバックボードは忘れられない思い出だそうです。

卒業後は大阪の大学へ進学、土木を学ばれましたが、卒業後は、実家の家業である和菓子屋の三喜屋を継ぐことに。と同時に父親の言われるままに姫路の洋菓子店に三年間修業に出られます。
これもお父さんが最初から決められていたようで、中村さんご本人も二男でありながら、小さいころから家業の和菓子作りを手伝っていたので、何のためらいもなかったそうです。

2006年に山南町で丹波竜の化石が発見されてからは、地域振興に繋げるために修業で学んだ洋菓子の良さも加えて、丹波竜パイまんじゅうやサブレーを生みだされ、これらは度々マスコミにも取り上げられています。

ご家庭は28歳で結婚、二人の娘さんと息子さんが居られるそうです。現在は山南町納税協会個人の部の支部長を務められたりと地域の発展に貢献されています。

同行された谷郷事務局長を見るなり、当時はもっと逞しくて体育の柔道では乱取りで組まされて冷や汗をかいたことも思い出されたようです。
5年ほど前には当時の8組と9組の合同の同窓会を開かれたそうで、約40名ほど集まり大盛況だったようですが、清陵会のHPには掲載されてないので、次回は是非ご報告をお願いしておきました。

今の有高生徒には、「現在も同じですが、卒業してからも何時になっても勉強は大事ですよ。」とのことです。

(文責:岩野 弘明)

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