s-44

井上征洋 先生 (平成7年~10年)

京都から奥さんと事務局へ

取材をお願いすると早速に事務局へ、以前と変わらぬお元気さ、満面の笑みを浮かべて玄関に入ってこられて事務局全員でお迎えしました。

本校では3年間勤務、着任されたときは、三田農林・女学校・全日制と続く伝統校の重みを感じられたそうです。これまで勤務されてきた他校にない行事、「さなぶり」・「五輪塔供養」・「笑和会」といった行事に参加し、さらに強く感じられたそうです。
着任早々に農業部長となられ、生徒達にやる気を起こさせ、自覚・責任をもたせ落ち着いた状態になり、その学年の卒業にあたって式後に農業棟で農業科の先生全員で涙して送り出したのが強く印象に残っているそうです。授業では生活園芸・農業簿記そして農業クラブの指導、さらには危険物・毒物・劇物資格取得の指導でお世話になりました。

本校から洲本実業東浦分校の教頭としてご栄転され3年間勤務、さらに播磨農高の教頭を1年され、最後に舞子高校の校長を2年され退職、38年間の教師生活を終えられました。

その後は、英知大学の広報担当として4年務められ、さらに市のコミセンの館長として3年務められ、67歳で勤めとしての仕事を終えられました。その後は、長男夫婦と孫二人と同居されての六人家族、自由な時間が持てることから、300坪の屋敷の庭の木々の剪定や野菜の栽培・果樹の世話、さらにはボランティア活動に力を注がれ「川を美しくする会」の代表で月2回の草刈り、そして下校時の子供たちの連れ帰り、さらに力を入れられているのは高校時代の同級生、男女5人ずつの10人で「奥山たから会」を立ち上げ代表となり、地元で取れる野菜等を材料に料理を作り販売されておられるそうです。また、地域の人望も厚く、今は8つの役(FM宇治番組審理委員・社会教育委員・防犯協会委員・地域600軒の協議員等)を引き受けて頑張っておられます。

とても元気であるとのことでその秘訣を聞きますと、適量な晩酌、そして1日として欠かすことがない5時半に起床して裏山の万灯呂山に登り体操をして7時20分ごろに帰宅される毎日の行いが健康の元になっているそうです。「これからは、いつでも・どこでも夫婦一緒ですわ」と言いながら事務局を後にされました。

s-45

 

 

 

 

 

 

s-46

 

 

 

 

 

 

 

s-47