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井之上 豊昭さん (有高23回)

先日(平成22年8月21日)、6年ぶりの同窓会を実施したとき、高校2年のときの担任をしていただいた高岡先生が(現在南淡路在住)、一度、有馬高校を見学しいとおっしゃったので、当日、有馬高校を訪問し40年ぶりに学校内を見学させていただきました。

事前に学校へ連絡していたこともあり、学校へ着くと教頭先生がわざわざ挨拶に出て来られ、また、案内までしていただき恐縮した次第です。
40年前と校舎そのものは変わっていませんでしたが、玄関入口のところにあった校訓「まこと」の碑の位置が少し移動していたものの、40年前のまま現存していることに感動しました。と同時に学生時代のことをふっとなつかしく思い出しました。

高校時代は、7組で普通科でしたが、放課後は「帰宅部」だったので、授業が終わると、真っ直ぐ家に帰って牛の給餌や田んぼの手伝いをしていました。 というのは、高校に行かしてもらえる条件が、①学校から帰ったら田んぼの仕事の手伝いをすること ②学校へは自転車で行くことが父親との約束だったからです。

これは、「高校なんか行かんでいい」という父親と、「何とか高校だけは行かしてほしい」という私の願いを叶えてもらうための条件であったからです。
家から学校まで片道二十キロ弱あるので一時間ほどかかりましたが、毎日、中学生のときに通学で使用していた古い自転車で、雨の日も風の日も3年間1日も休まず通学しました。 (内、一日は、国家公務員の面接試験のための公休扱いになった日がありますが。)

また大変だったのが、5月の中間試験と秋の中間試験の時期で、丁度、田植えと稲刈りの時期と同じ時なので、試験の時は家に早く帰っても、親は、農作業の手伝いを期待しているので、試験勉強する時間があまりなく、夜遅くしか勉強出来なかったことです。
当時の学生の頃を振り返ってみると、毎日せわしない日々をすごしていました。

現在も何故か、「税理士業」・「農業」・「地区区長」・「税理士会役員」等日々忙しく過ごしていますが、「毎日が日曜日」の生活をできるだけ早く始めたいと思っています。

(文責:井之上 豊昭)

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