2021(令和)年4月、神戸新聞に今西さんが個展を開催されるという記事が載った。4月28日~5月3日に開催される予定が、コロナ感染拡大で8月に延期となり(11日~16日)、最終日の8月16日(月)、会場の「池田市立ギャラリーいけだ」を訪ねた。展覧会場の撮影をしようと許可を得てデジカメの電源を入れたが、このとき電池切れであることに気づいた。会場近くの売店で使い捨てカメラを急遽購入し撮影させていただいた。ただ作品のためを考えて内臓のフラッシュを使わなかったので、暗い写真になってしまった。次の2枚は会場が暗いためではない。左の作品名は「囁くポット」、右の作品名は「夏夜の夢」である。

 田畑での作業が一段落しただろう時季を考えて事務局員2人でお訪ねした。今西さんのお父さんは明治生まれで、県立に移管したばかりの三田農林学校の卒業生である。「農林学校に歩いて通っていた。そのうち自転車を買ってもらって乗って通っていた。しかし雨の日は自転車が痛むとかいわれて乗せてもらえず、歩いて通ったみたいです。」
 高校のアルバムをみながら高校時代の話を少し聞かせてもらった。1957(昭和32)年に入学され、1年のときは北校舎で過ごされた。この年は北校舎では普通科・家庭科の1年生と農業科・園芸科の1~3年、南校舎では普通科・家庭科の2・3年が学んだ。「10月1日、お堀のある上の校舎の窓からだんじりが通るのをみた記憶があります。」10月1日は学校近くの三田天満神社の秋祭の日である。だんじり5台などが町内を曳かれるにぎやかな祭りである。北校舎は農林学校時代の校舎を使っており、お堀(満々堤)に沿って平屋の木造校舎があった。
 今西さんが1年生のとき、北校舎の木造校舎を解体して新校舎を建設するための委員会が校内でスタートしている。「毎月の月謝の中に、校舎を建てるための寄附金をプラスして払っていたと思います。」「自分たちのときには校舎は建たないが、お金は払って卒業しました。」当時は校舎建設には、一部の地元負担が必要だった時代である。建設は4期にわけてすすんだが、Ⅰ期工事は、今西さんの3年生の1月にはじまった。ただ南校舎にいた今西さんは工事を見る機会はなかったでしょう。
 先生方のなかでは家庭科の宇津先生(のち植田)を一番よく覚えておられるそうだ。実習中の思い出も語られた。「3年間で和裁、洋裁、手編みですけど編物はやりました。」「父の丹前を縫った。母が生地を買ってきてくれて、おおかたできていたのに、汽車の中に置き忘れてしまった。届け出はしたけれど出てきませんでした。」「荷物2つ持つと1つは忘れるんです。」との一言も添えられた。音楽・美術・書道の芸術選択では、3年間美術を選択され「安本先生が担当でした。」

 40歳代に絵を描きたいと強く思われたようだ。「絵は何歳になってから始めてもいいんです。」今西さんが長坂中学校の育友会の役をしておられたとき、同じ役をしておられたのが佐崎紘一さん、このときの出会いが縁で師事することに。佐崎さんは「佐崎紘一のblog」で略歴と数々の作品を公開されている。「大阪におられたが、三田に移ってこられた。朝日カルチャーセンターの中之島・川西池田・芦屋などの講師をしておられ、お家でも教えておられた。」「高槻、箕面からも90歳以上の、いくつになってもやる気がある方がお家に来られていた。100歳近い人も来られていた。佐崎先生に惹かれて。」「わたしはお家に月に1回しか行きませんけど、朝から夕方まで習いに行ってました。」「先生は修正、手直しはなさらない。口では“ここもうちょっと強くしたらどうですか”“もっと目立つ色にしたらどうですか”と言われるが、自分で描いている人の筆を持って直されることはない。この形をこう描きなさいということはない。自分の思うように描かせてもらえます。」
 「佐崎先生は“写真みたいにきれいに描かなくていいから、それやったら写真でいいから”“卵(玉子)が三角に見えたら、三角の卵(玉子)にしてもいいし、自分の思った通りに描いたらいい”と言われた。」「“単純化して描きなさい” “花も木もその通りに描こうと思わず感覚優先で描くといいですね”とも。」
 「つれあいに、“あんたの頭の中、どうなっているんや”と言われるような、“これ何や”といわれ、これポットですというような絵が多いですね。」といわれる。「佐崎先生は、いまはお家での教室をやっておられないが、描いたものを持って行ってアドバイスしてもらって、ここはこうしたらよいよというアドバイスが非常に役立つ。それ聞いたお蔭で、こうしょうかなとなっていきます。」
 今西さんの絵を一枚でもここで紹介したいと思ったが、なにしろ語彙不足、そこで神戸新聞記事の力を借りることにした。記事から一部引用させていただく。

  「カボチャの中にはね、種とトウモロコシとブドウがあるの」。そう紹介するのは、深い緑に黄色い線が印象的な「夢みるパンプキン」。ピンクや黄色が混ざったにぎやかな料理が、フライパンや皿に盛られている食卓の絵は「まぁちゃんの誕生日」。思わず声に出して読みたくなる題「魚々(ぎょぎょ)」では、オレンジや水色の混ざった魚が深い青の中を泳いでいる。濃い色や力強い線を効果的に使い、日常から見えたものや頭の中で生まれる世界を切り取っている。

 左の写真は「夢みるパンプキン」、右は「まぁちゃんの誕生日」です。

今西さんは佐崎さんに師事されたが、他の画家さんの展覧会に行かれ、刺激を受けられることもあるそうだ。「BBプラザ美術館で観たタカハシノブオ(本名高橋信夫)の絵はすごかった。これを観て自分の思う通り描こうと思いました。」
 図録(BBプラザ美術館)には「タカハシさんの作品は、どれも剛腕直球です。解説なんて無意味なほど、感じたままに、目の前に広がる景色を、心の中にうごめく感情にのせて描いています。」とある。またBBプラザ美術館H・Pには「力強く散りばめられた赤、青、黄の原色、そして全体を印象づけるのは、深くどこまでも吞み込まれてしまいそうな黒」と紹介している。「この人の絵をみて、こんな描き方でもいいのかと思いました。」ご自身の色の使い方も「グリーンだけ、赤だけという使い方をします。あまり混ぜないです。くすんだ色の絵はあまりありません。」

 今西さんは「農家の主婦です。」と自己紹介されている。母屋の横にある納屋もアトリエになる。「夏は納屋で描きます。涼しい風にあたりながら。」「まだ描き続けていきたい。“晴耕雨描”、これでいつまでも行きたい。」
 神戸新聞に載ってから「反響は大きかった。激励の手紙や電話をいただいて感激しました。」最後に納屋も案内してくださった。                   (執筆 上垣正明)