person塚本 洋子さん(有高11回)

今回は、社会福祉の活動で知られる塚本洋子さんに原稿を寄せて頂きました。
塚本洋子さんは、ご子息がダウン症として生まれたことから、障害児教育の大切さを訴え続け、三田市ではじめての養護学級が三輪小学校で立ち上がる端緒となられました。また、相談活動、執筆活動、講演活動等を通して、知的障害者の地位向上にも尽力されてきました。その活動により、数多くの賞を受賞されています。
有高時代と言えば、ころび坂、満々堤、北校舎南校舎、六甲登山……等、懐かしさのモチーフがキィワードになって胸の中いっぱいに、甘酸っぱい青春色の布が織りなされ拡がります。
S33.7.1三田市制が施行され、S34.4三田市役所へ就職。進学クラスにいながら進学せずでしたが、約17倍の競争率をクリアーできたことは、先生方のご指導の賜物と、今も感謝があふれます。
22歳で結婚。S42.3.9二男・猛、誕生。ダウン症による知的障害児と教えられました。驚きと恐れ。憎いとさえ思った日々。どろどろとしたやり切れなさが毎夜半私の枕を濡らしました。
それでも猛は、一途に私への愛を、不器用にされど惜しみなく放電しつづけました。更に家族の愛──。
いとおしいと思うようになったのは、出生から随分、刻が経ていたように思います。
当時、三田市では知的障害者(児)の福祉はほとんど叫ばれていませんでした。今、振り返れば”無我夢中”そのものだったような気がします。そんな姿を評価されたのか、兵庫県こうのとり賞、三田市さつき賞を頂きました。
又、少しでも障害者(児)のことを理解頂こうと、”愛の灯を消さないで”等著書を出版したり、作品を都度発表いたしました。”夢の中のゆめを追いつづけて”は、S58年度NHK厚生文化事業団心身障害福祉賞最優秀賞を。その他にもいろいろ入選させて頂きました。
それらは、取りもなおさず、私へのお励ましと肝に銘じております。
猛のなまなましい優しさに包まれて、いくらかでも心の鬼が減ったかな と自負している私に、当時のクラスメートたちは、「何も変わってない我がままのまんま」と肩をすぼめて温かく笑います。

猛の底知れぬ深い慈愛に支えられながら、のんびりと、ちょっと背中の光る粋な”不良老人”やるのが今の夢なのですが──。現実は、人口7名の我が家。3人の孫娘相手に、夕暮れ狂騒曲を高らかに奏でつつ、前かがみに、飯炊きバーサンを真面目にやっております。猛と生きる”しがらみ”を熱愛しつつ──。

(文責:塚本洋子)