株式会社神山組で専務取締役として仕事に打ち込む日々

1月の某日、大沢副会長と共に清陵会館事務局に来ていただきました。
実家が農業をしておられて、農地が何年か前まで両親が2㌶を耕作し現在はご自分の1.3㌶ほどをご家族でされているそうです。お祖父が植木屋さんをしておられたので、農業に縁があり有馬高校の緑地園芸科を希望されました。

高校時代の思い出は。入学の時、対面式に新入生代表として挨拶したことが最初の有馬高校の思い出だそうです。山田の自宅からは自転車通学で、学校までわずか15分間で到着していたそうです、あの頃は若かったので今なら30分はかかるでしょうとおっしゃっていました。
担任は3年間上醉尾先生の下、3年間クラス委員長を務めていた。1年生で松の剪定や造園・野菜・花も沢野先生に怒られながら勉強した。現在の仕事に必要なことは高校時代に基礎として習っていたそうで、当時の教科書を現在もたまに読み返しているそうです。
「担任の先生や沢野先生、奥川先生、武藤先生、等お世話になった先生方に感謝しています」と聞きました。

修学旅行のスキーで黒姫高原での花火やかがり火を見た。大雪でバスが動かず帰るのが遅くなって7時間ぐらいの遅れが出た記憶がある。バスの中では爆睡した事や、待つ間にハーゲンダッツアイスのいちご味を友達4人ほどでと20個くらい食べた事。など楽しく話して下さいました。
体育祭では学年混合の縦割りグループで応援し、応援団員をしていて大いに盛り上がった。有高祭では、3年生の時、ラジオ番組風のコントや出し物に皆で参加。皆でケンカもしながら、ダンスしたい人、漫才したい人、コントをしたい人みんなまとめて完成となったそうです。農業祭では展示係で全体の総括だった。阪神大震災の年の卒業だったので3年生の最後のテストがなかったそうです。今でも時々クラスの人達と会われるそうです。

「部活はサッカー部、その頃Jリーグが初開催したところなので、女子にモテると勘違いして3年間やりました。岡田先生・池田先生が顧問でした。現在でもサッカー部の強い絆で結ばれた仲間で同窓会や飲み会を三田でしています。若かりし頃の思い出が次々と蘇り話は尽きませんでした。

卒業後は修成建設専門学校緑の学科に進学した。真面目に2年間勉強されたそうです。

就職は叔父さんの紹介で株式会社神山組に就職し25年間勤務、現在取締役として頑張っておられます。
株式会社神山組は丹波篠山市今田町にあり、建設資材販売を軸に土木工事・石工事を「とどける・作る・つなぐ」をモットーに日々邁進中。
山で発破をかけて丹波石を掘り出す。業界では自然石に特化した石組みをする会社は数少ないと聞きました。

現在のお仕事は三宮サンキタ通り道路の石張り、神戸東遊園地の石工事、学校近辺では三田駅前Bブロックの土木・外構工事、第二テクノパークの土木工事、過去には有馬富士公園の石組み。三田駒ヶ谷公園の石組みなどの工事に携わったそうです。
工事に加え、石材・ブロック・コンクリート二次製品(U字溝など)の販売もされておられるとの事です。

様々な仕事を通じて、有馬高校の諸先輩、後輩の方々とお会いする機会が多く本校の歴史の長さに改めて感心されていました。

趣味は仕事とゴルフ。楽しみは年に数回の友人と飲み会、とにかく仕事一筋の方です。
                               (執筆:羽渕和美)

           神山組