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大沢(丸尾) 辰美さん(有高12回)

理事を定時制代表として長年務めて頂いた山下宏さんが5月にご逝去され、その後任として評議員をされていた大沢辰美さんに理事をお願いすることになりました。そこで、大沢さんを紹介することでご自身に書いて頂きました。

夜間高校を卒業して

4年間の担任は元校長であり、清陵会会長だった畑中芳夫先生です。この4月に95歳になられた先生をお見舞いに同級生4人で伺ったのですが、4人の名前をしっかり憶えてくださっていました。嬉しかったですね。

956年(昭和31年)の入学でした。当時、兵庫中央病院の看護学生30人全員が有馬高校の夜間普通科に入学し通学しました。一日12時間勉強をし、毎日毎日勉強勉強でした。看護学校の教養科目も有馬高校の先生でしたから、夜間普通科の教科単位に加算して頂き、畑中先生から当時を振り返るお話で「県教委から厚生省の看護学校と、文部省の高校教育をごっちゃにしとると言われて、苦労したんや。」と聞かされ、優秀な私達の看護学生に教育の機会をしっかりと与えて頂いたのだなと思いました。その学ぶ姿勢は、私達の人生の大きな誇りとなり、どんな困難にも負けない基礎力の力となりました。

夜間には私達普通科と商業科がありましたが、分校として、長坂、羽束、淡河、吉川などがあり、分校は昼の授業の定時制高校でした。だから、夜間高校を中心校と言っていました。中心校と分校4校合同のソフトボール大会があり優勝した時には、特に長坂分校の清水先生が残念がってね…

卒業後は、准看護師から看護師になるため、岡山の川崎病院の高等看護学院に2年間学び、その後も三田が大好きで兵庫中央病院で働き、女性が子供を育てながら働き続けられる職場作りを目指して、保育所づくり、学童保育づくりと三人の子供を育てなから労働組合の運動に走り回っていました。その流れは政治を良くしたい思いにつながり、市会・国会合わせて議員生活を26年間続けることになりました。

現在は、高齢者福祉に残された人生を奉仕しようと、(私も高齢者)下深田で「三田きらくえん」という小さな「地域ケアセンター」を三田出身のお医者さんのご寄付で建設させていただき、ボランティアをしています。

自宅から有馬高校の前を通ってセンターに行くのですが、いつも温かい思いやりのあった有高の校風に、私は育てて頂いたと、一杯の感謝と、3人の子供達は既に結婚し7人の孫達が誕生、長男がすぐそばに住んで、孫3人がいつも顔を見せてくれたりで元気で頑張っています。
木でつくったあったかーい デイサービスです」

(執筆:大沢辰美)

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