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島利 ふさ子さん(有高9回)  松山 紀夫さん(有高11回)

今回の110周年事業に向けて、過去の歴史を調べている中で、50年前に収録された校歌のレコードが出てきました。独唱パートを歌われた3人は現在も元気に活躍されていると聞き、2人の方から当時の思い出を書いて頂きました。
校歌レコード吹き込みの想い出

松山紀夫(有高11回)

ちょうど50年前、入学して間もない1956年(昭和31年)の初夏だったでしょうか、清陵合唱団に加わり、音楽部の福畠孝子先生と藤本潔先生に引率されて西宮に向かい、当時大手の日本マーキュリーレコード社において校歌・応援歌の吹き込みを行いました。

そのころの男子生徒は音楽選択をほとんどしないので合唱団は女性ばかり、編成にはずいぶんご苦労があったようです。書道選択のわたしを福畠先生に推薦したのは、八景中学校時代の音楽の先生でもあった藤本潔先生だったようで、たちまち独唱メンバーとして3年生の2人のお姉さんとパートを分け合うこととなりました。

紅白歌合戦やNHKテレビの放映が始まって数年、これを背景としてまだ誕生間もないLPレコードが次々とヒット盤を世に送り、レコード業界が活況を呈しはじめた時代です。立派なスタジオに入り精巧そうなマイクの前に立たされて、小刻みに震えていたことが思い出されます。

有馬の連邦の朝明けを
さ霧静かにはれゆきて
武庫の水上水脈光る
旧きをしのぶ北摂の
山河の幸にはぐくまれ
学びの園の歴史は栄ゆる

神内住子作詞・竹内平吉作曲になるこの校歌、その絵画的に描写された豊かな詩情と爽やかに澄み切った品位あるメロディーは畏敬と感謝の気持ちを起こさせます。

戦争疎開の地として移り住んだ三田、離れて3倍の年数が経ちます。しかし高度経済成長期前の、また開発と発展による変貌ぶりが全国の目をひくこととなる前のあの三田、この校歌が見事に描き出している情景はまさに当時の姿そのままなのです。心身を育み、多感な時代を見守ってくれた、懐かしくもいとおしいこの原風景は、わたしの心の奥底にしっかりと刻み込まれ、終生色あせることはありません。

ところで、このレコード吹き込みをきっかけとして、いささかにわか作りを否めない合唱団は日本オペラに挑戦することとなり、演劇それにバレエとともに人気を博し、文化祭の舞台部門は盛況となって一時代をつくり出しました。そこには、参加部門ごとに本番に向けて必死に練習していたみなさんが、それに新しく、高いものを与え続け、情熱をもって指導してくださった先生方がいました。いまも同窓会で、目を輝かせ、誇らしげに語り合っている有馬高等学校で送った青春の懐かしい一頁なのです。

三田を離れたその後のわたしは教職の道に進みました。私学の夙川学院高校、大阪府立市岡高等学校を経て、北野高等学校定時制課程において当時の大阪府で最年少教頭となりました。あとは旧制ナンバー中学(伝統高校)を中心に転任をして無事定年を迎えました。この間、旧文部省教科書検定調査審議委員や大阪府国際教育研究会会長・ジャイカ(JAICA:国際協力機構)・日本ユネスコ協会の大阪府教育審議委員など主に留学制度、国際教育・交流事業で尽力してきました。

現在はカトリックミッションの城星学園高等学校(玉造)に勤め、余暇は銘酒の会に入り、仲間と日本酒の蔵元・名店めぐりを楽しみ、はまっております。

 

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