高校時代の思い出は
担任は辻前先生と冨依先生でした。
勉強は、まあ好きな方だったと思います、クラブは一年から卒業まで文学クラブで楽しかったです。
いろいろ懐かしいですが特に二年の時の英語の中林先生はとてもきびしく授業中パッパッと指名して質問されますので、絶対・予習・復習しておかないと大変でしたが、お陰で毎日毎日予習、復習して行ったものです。
修学旅行は日光、東京でしたが、その間ほとんど雨や曇りで写真がどれも暗い感じでした。
体育祭は高一だったか高二だったか、フォークダンスをしたこと。当時は男子生徒と女子生徒はあまり親しくすることなどない時代でした。
昭和27年ごろの体育祭の様子を思い出して作った歌です。
※少しだけ指先触れて踊り高二の秋のフォークダンスに
※頬染めて男子と手を取り踊りたるその友たちの幾たりも亡く
※輝きし遥かなる日よ十七歳の母校の校庭に霧流れいし
(令和元年五月八日作、森本倭子)

学校行事で心に残っていることは
有高二年の時、衛生委員に選ばれ他の委員の人、何人かで三田保健所で検便のための講習を受け、その後、学校で、全校生徒の検便をしました。
又、三年の時は集会委員長に選ばれ、そんな大役は出来ないと、どうしようと、不安でいっぱいでしたが、何回か全校集会を計画し、朝礼台に立って司会をつとめたり、全校生の前でいろんな話をするうちに、私にも出来ると、自信が持てるようになりました。

卒業後の様子は
卒業後、阪急百貨店に勤めましたが、結婚することになり、一年足らずで退社しました。
結婚して家業を六年間大阪で頑張りました。
結婚後四年目に結核を患い三田の兵庫療養所で約1年入院しました。

今頑張っていることは
今は、NHKの短歌友の会講座で35年間学んでいます。今迄に2回歌集を出させて頂きました。又平成17年のNHKの全国短歌大会に特選をいただき、その一月にNHKホールの舞台に立たせてもらったことは、一生の思い出です。
テレビで放映され、多くの友からお祝いなどいただきました。
今83才と高齢で体も弱り特に力を入れて何も出来ませんが、ぼちぼちうたを作って歌会へ送るのが楽しみです。

家族と地域のことは
主人は体をこわし、今は施設でお世話になっています。長男・二男は仕事を継いで頑張っています。長女は大学に勤める夫を支えて良き家庭を築いていますが。5年前にガンの手術を受け今時々通院しながら、ギターの仲間やマンドリンの人達と、月2回ぐらい施設や、病院でボランティアの演奏会を開き患者さんや皆さんに喜んでもらっているようです。
(執筆 森本倭子)