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やなせ保育園長を訪問

事前に連絡して稲葉先生と訪問。稲葉先生は奥さんと篠山産業高校時代の同僚で、今でも付き合いがありますが、私は数十年ぶりの出会い。「懐かしい、懐かしい」の連発で、用意されていた卒業アルバムを見ながら、時間の経つのも忘れました。

本校では6年間、1年から3年までの持ち上がりを2回繰り返し、2回卒業生を送り出されました。当時住まわれていた篠山教員住宅に卒業生がよく訪問してくれたこと、プロゴルファーになった卒業生のいることや、進学に力をいれ、花山院での学習合宿の結果、多くの進学者を出したこと、元気な部員が多かったハンドボール部の顧問をしたこと等、懐かしく話して頂きました。

本校から県立尼崎高校に転勤、その後、鳳鳴高校・出石高校(途中から教頭)、さらに和田山養護学校・豊岡南高校・豊岡実業高校の校長をされ、そして最後、豊岡南と豊岡実業を統合した豊岡総合高校を立ち上げ、退職されました。

退職後は、県立但馬長寿の郷で1年間、交流指導員をされました。その時に見よう見まねで作られた陶芸作品を見せて頂きましたが、どれもこれもが見事な出来栄えでした。

その後、やなせ保育園長に就任され、現在は、地域の副区長、ライオンズクラブの幹事と多忙な毎日を過ごされる中、日曜祭日には10aの畑に野菜を栽培し、汗を流されています。

産業高校勤務時代に職場恋愛で結婚された奥さんとの間に2人のお子さんがおられますが、それぞれが結婚、3夫婦で同じ敷地内に住居を構えて住んでおられます。長女夫妻には2人のお孫さん、長男夫婦に7年ぶりに男のお孫さんが誕生、楽しさ一杯の毎日を送られているとか。血圧が高いので1日1回薬を飲んではいるものの、病気らしい病気をすることなく元気にやっていますとのことでした。

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奥さん(陸子先生)とご一緒に。
手前に写っているのが、波多野先生の陶芸作品です。

 

 

 

 

 

 

 

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稲葉先生と陸子先生

 

 

(文責:谷郷 賢明)