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同窓会について

あれは確か、6月中旬のことだったと思う。教員を定年退職して6年、少しばかり農業をする毎日で、当日用水池の堤防の草刈をしている所へ、有高第35回卒業生で森田石材店社長・森田茂樹氏に伴われ、元同僚で現清陵会事務局長の谷郷氏が稲葉さんと連れ立って来られた。「卒業生で大活躍をされている森田氏のところへ取材に来たところ、近くだと聞いていたので案内してもらった」とのことだった。森田氏や有高第32回卒の田村厚樹氏(有馬高校→関西大学→中学校理科教員として大活躍されていた。2004年逝去)らは私の教え子で、当時1時間あまりかけて通学し頑張っていた。

谷郷先生とは久しぶりのなつかしい出会いであった。私は1979年(昭和54年)4月から1982年(昭和57年)3月までの3か年、理科教員として勤務させていただいた。40歳前後のことである。職場の同僚や多くの保護者、よき生徒諸君にも恵まれて最高に楽しく充実して仕事をさせていただいた。赴任した1年目、谷郷先生は同じ1年生担任で、有高の先輩として、新入生に一生懸命校歌を教え、語りかけ、母校の後輩を立派に育てようと賢明にがんばっておられた。

懐かしい話の中で突然有高同窓会「清陵会」のホームページへの原稿依頼を受けた。有高の懐かしい思い出はいっぱいあるのだが、以前会報にも書かせていただいたことがあり、重複しないようにと思うとペンが止まり、そのままになっていたところ、先日再びお便りをいただいた。谷郷先生はいま十分健康であるとはいえないようだけれど、母校の卒業生として有高のためにがんばっておられる。頭が下がる思いであった。

私は、私の母校の同窓会に誇りと感謝の気持ち度持っている。同様に、有馬高校100周年記念式典に出席して、有高の同窓会「清陵会」の偉大さも十分に知っている。同窓会ほど心を許して語り合えるところはないし、同じ学校を卒業したというだけで初対面でも何か通じ合えるものがある。清陵会は有高卒業生の原点であり、アイデンティティー(人格における存在証明、同一性)の場である。

私は統廃合したある学校の卒業生から「われわれには母校がなく同窓会もなくて本当に寂しい」と打ち明けられた。大人になって大活躍されているだけに寂しいのだろう。このような寂しい思いをさせてはならないと思った。いつまでたっても母校は活躍の原点である。

また、在校生諸君にとっても同窓会は強力な支援団体であり力である。私が2年目・3年目に生徒会部長を命じられ、生徒たちのために体育大会の古くなった優勝カップを新調してやりたいと希望している時、それを耳にされた卒業生の畑中芳夫氏より、校長を通して、ものすごく大きく立派なトロフィーをご寄贈いただいた。学校のあらゆる教育活動の場で協力いただける力強い団体である。

その他、いろいろな意味から同窓会に結集し、誇りと自信の場として一層の有高アイデンティティーの育成に努められるよう祈っている。

(文責:浅原 律明)