person

平成元年、淡路から単身で有馬高校に赴任した。有馬高校は有馬温泉にあるものと思っていた私は、内心ずいぶんがっかりしたことを覚えている。
しかし、有馬高校との初対面は実に感動的であった。校門を入ると前庭が何とも言えず美しく、枝垂桜が春の到来を告げ、私を心から歓迎してくれているようであった。

有馬高校の卒業生である前校長・中北勝先生が、有高生の大学進学を実現させることを切望する、と仰ったことを今でもはっきり覚えている。
4月から、中北勝校長の後任として着任された桜井博校長の下、生徒達の進路実現に向け、日々努力した。当時進路指導部を担当しておられた先生方と幾度も協議をし、お願いし、自身もいろいろな関係資料を見てみたが、実に困難な課題であることを痛感した。私は教頭としての仕事に加えて、造園・園芸・家政各科の授業をしたが、普通科の学力が実態として把握できないまま日々悶々として2年が過ぎた。
私は中北先生の思いを片時も忘れなかったが、報いることができなかった悔しさをいまだに引きずっている。

清陵会にはいつも敬意を払っていた。とりわけ、在校生に対する支援や、地域との連携を含め、役員の方々のご活躍には頭の下がる思いであった。
又、管理職としてのイロハがいまだしっかりとしていなかった私に、手取り足取り指導してくださったのは校長、もう一人の教頭、事務長である。

 農業祭の賑わい、五輪塔供養、吹奏楽部の早朝自主練習、校長公舎での野菜作り等、思い出はたくさんある。又、職員個人ロッカーが廊下に並べてあり、生徒の通行の妨げにもなり消防法にも違反することから別棟に移動させ、廊下が通りやすく明るくなってみなから感謝されたこともあった。
最後にもうひとつ書いておきたい。それは3年間お世話になった校長公舎での入浴である。はじめはチクチクと痛みを感じる湯であったが、体の芯まで温められ、さすが有馬温泉に近い土地柄かと有難かった。

(溝口 節夫)