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三田高等女学校17回卒業の田良原澄子さん 田谷節子さん 本岡芳子さんの3人に寒い中清陵会館にお越しいただきました。久し振りに3人顔をあわせると、一気に女学生にもどり、賑やかにお話が始まりました。

「卒業してから74年になりますが、今まで良く生きてきたと思います」とお持ち下さった女学校生活の写真を基に進めてまいりました。
入学記念に福田写真屋で撮った一枚の写真を見つつ、セーラー服で服の色は紺色、鶯色のラインが3本と細かくお聞きしました。
入学試験一日目は筆記試験で、二日目は面接があり、断片的に細かな事を覚えているとのことでした。

担任の先生は下向井先生で社会でD組、厳しい先生でとても熱心な方でした、C組は今井先生でした。

入学間もなく遠足があり須磨浦公園に電車で行った記憶があり、運動会もありました。

とにかく奉仕・奉仕で大変な時代で田植えや、秋は稲刈り、体操の時間は松山堤で草刈りに、奉答ヶ丘での開墾、そしてイモ植え、収穫、学校の側に畑があって野菜を作っていたと聞き、厳しい時代の学校生活だった思い出を語られました。
4月に入学してその年の12月には戦争が始まりました。それから学徒動員でお一人は自宅から自転車で三田駅まで、宝塚で乗換えて鹿塩駅まで毎日通った人、寮に入った人、皆もんぺにゲートルを巻いた写真がありました。必死だったし、お腹が減りとにかくつらいけど一生懸命だった工場での生活の日々でした。
長尾から自転車通学途中で戦闘機からの機銃掃射に遭い、とっさに土手に伏せた事等、お怪我もなくよかったです。
終戦の前に神戸の大空襲があり3人共に神戸の方向が赤く見えたとのお話を聞きました。
卒業式はなかったように思うとのお話で混乱を極めていた時代だったと想像することでした。

卒業後はお家で花嫁修業をして、結婚をなさいました。
今は、田良原さんはご夫婦二人での生活を、
田谷さんは長男夫婦と同居を、
本岡さんは長男夫婦と同居をなさっています。

田良原さんは、昭和47年から35年間、80歳になるまで総務省行政相談委員を務め、平成10年11月には叙勲「勲六等宝冠章」を受けられました。また60歳から15年間、民生委員として地域のため貢献され、平成14年には坂口厚生労働大臣より感謝状をもらわれています。

何時までもお話は尽きませんが貴重なお話ありがとうございました。

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(執筆 羽渕和美)