person

事務局の稲葉先生の恩師でもある矢野先生に来て頂きました。数十年ぶりでお会いして、私の高校時代の懐かしい先生方の話にまで遡りました。

先生は、大学卒業後、京都の高校の先生として約1年間勤められましたが、当時の本校の相原校長から是非にとの要請で、新学期が始まっている4月の途中に赴任されました。右も左も分からない初めての地であったため、福知山線に乗って、沢山のトンネルを抜け三田の駅に着いた時には、寂しさと不安でいっぱいだったそうです。

南北に分かれた平屋の木造の薄暗い校舎と、いきなり任されたハンドボール部とバレーボール部の顧問役に、戸惑いながらのスタートだったそうです。

2年目から担任とバレー部の顧問になって、そのまま15年間続けられました。「最初に担任した子たちは20年生まれで、もう61歳になるんですよ」と仰って、又、宿直では皆と時間を忘れて話した事、文化祭でのいろんなエピソードや、個性のある先生方との楽しい思い出等、懐かしく話して下さいました。

25歳の時、氷上の方と結婚。住まいも下宿していた屋敷町から教員住宅に移られ、2人の女のお子さんに恵まれました。そして、37~8歳頃に、三輪に今お住まいの家を建てられました。

本校で16年間勤められ後、県尼に10年、そして北三に11年、計38年の教職生活を終えられました。今は娘さん2人も結婚され、4人のお孫さんもおられます。近くに住むお孫さんの送り迎えをしたり、庭の世話をしたり、奥さんと2人きりの悠々自適の生活を送っておられるそうです。

 何よりも羨ましく思えた一言ですが、「医者知らず」だそうです。

(文責:谷郷 賢明)