192_1西原 和孝さん (有高20回)

普通科に入学、入学試験の日のあの大雪は今も語り草になっており、忘れることができません。私達は、約5キロの雪道を歩いて相野駅まで行き、そこから電車で三田駅まで行きました。駅からまた歩いて試験場の有馬高校へ。

入学後すぐ友達と陸上競技部に入部しました。顧問は岡本寛治先生でした。2年、3年は西川公明先生でした。

3年間の部活動では、苦しかった練習、かまぼこ校舎での夏の合宿、みんなのおかげで1年の時、駅伝の県大会で淡路(当時県大会は淡路で行われていた)へ行けたこと、練習が終わり、汽車に飛び乗って、真っ暗な夜道を自転車で帰って行ったことなど懐かしく思い出されます。

毎日ほとんど休むことなく一生懸命練習しましたが、試合ではしんがりを争ってばかりで大した記録は残せず悔しい思いと残念な思いばかりが残っています。しかし、よい先輩、友人、後輩ができたこと、練習の辛さ、楽しさは今の私にとって大きな財産になっています。

卒業してすぐ、近くの郵便局に勤務。入った時から局長と職員の2人の郵便局でした。以来42年間ずっと同じ職場で、地元の人たちに支えてもらい今年定年を迎えます。

ずっと同じ郵便局勤務でしたが時代の変遷とともに、手続きや仕事の内容など随分と変わりました。毎日のように変更、改正等があり、貯金や保険の募集など仕事に追われる日々でしたが、多くの人に励まされ協力していただきましたことはありがたかったと思います。
その中で、俳句というものに出会いました。当地区では昔から俳句は盛んなところでしたが、全く興味もなく、ちらっと学校で習っただけでどんなものか殆んど知りませんでした。これはいろんな意味で私にとっては大きな出会いでした。
俳句は仕事に就いて暫くして勧められました。勧めていただいたのは、近くで理髪店を営んでおられる吉本伊智朗氏で将来に亘って師となった方で現在に至っています。また、先生や仲間の人たちの勧めもあって平成11年に句集「笛袋」を上梓したことは望外の喜びでありました。

昭和55年11月、31歳で結婚、3人の子供がいます。現在父母と妻、娘二人の6人で暮らしています。息子は離れて住んでいて、今春大学を卒業の予定です。

兼業農家で約9反の田畑を耕しています。主に酒米の山田錦を作っていて、昨年立ち上げた当地区の集落営農組織に参加しています。

(西原和孝)

 私の近くの郵便局で、入口のドアを開けるといつもガラス窓ごしににこやかな笑顔で迎えていただきました。北谷郵便局の顔でもあった和孝さんの顔がこれから見られないのが残念です。本当に42年間お疲れ様でした。

(谷郷賢明)

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