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高石喜久子 さん (高女14回)

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肖像写真

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  清陵会にホームページが開設されましたことを、同窓会の一員として、心から嬉しく思います。
  その輝かしい第一ページに、私の恩師であり、人生の大先輩である、前清陵会副会長の高石喜久子(たかいし きくこ)先生を紹介させていただきたいと思います。

  高石先生は、長い教職生活から退官された後、三田市婦人会の要職をこなしつつ、清陵会の役職も務められました。
  現在では、山登りなどの趣味を中心に、充実したライフワークを愉しんでおられます。

  では、高石先生からいただいたメッセージを、お読み下さい。


  母校は100周年を過ぎましたが、私が学んだのは昭和14年からの4年間であります。 ことし喜寿を迎えた私にとって、随分と昔になったと、女学生時代を振り返っております。

  先日のクラス会で、賑やかに、みんなで喜寿を祈ってのひとときを過ごしました。 その懐かしい語らいの中身ですが、おそらく、現代の皆さんには理解できないことばかりでしょう。
  英語は2年生で打ち切られ、美術や音楽が減り、それらの時間は山の開墾に当てられ、そこでさつまいもを作ったこと……。 誰にも不平を言わず、鍬を握ったものでした。

  その山も時代の波に押されて開発され、病院や住宅になりました。
  山の売り上げ金は清陵会で役立てられていますが、かつて学び舎があった場所には県営住宅が建てられ、昔の面影はまったく残っていません。 時代の趨勢とはいえ、私達卒業生にとっては非常に寂しいものがあります。

  せめて「三田高等女学校の跡地」と記したものがあれば、と願っています。 訪れる者に懐かしさを呼び起こしてくれるものが全くないのが、残念に思われてなりません。

  私達の時代は厳しいものでした。 ですが、そんな環境の中で4年間学んだことにより、誰もが、精神面の強さ、辛抱強さを身につけて卒業していったように思います。
  私もその一員として、平均寿命まで生き延びたいと願っております。


  高石先生の願いは、決して先生お一人だけのものではありません。 三田高等女学校の卒業生及び、有馬高校統合当初の数多くの卒業生たちの願いでもあります。
  私達の先輩である皆様の願いをかなえる方法を、ぜひとも清陵会で考えてみては如何でしょうか。

(文責:親谷美津子/挿入したメッセージは高石喜久子先生による)

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