[ 表紙 / 卒業生の活躍 / 山田美由紀 さん (有高29回) ]
「80歳まで走り続けたい」と元気良く話される山田さんは、高校時代、山岳部でキャプテンを務め、「担任も部顧問も村上先生でした」と懐かしそうに振り返られました。 卒業後は4年に1度オリンピックの年の1月3日にクラス会をされているそうです。 走ることに夢中になった時期は意外に遅く、35歳の時だそうです。 中学時代は軟式テニス部・高校時代は山岳部に所属し、体力には自信がありました。 しかし、再度テニスに挑戦した時、両足がもつれ、コートで何回も転倒してしまったのです。 想像以上の体力の衰えに衝撃を受け、自宅周辺で軽くジョギングを始められました。 3年後、夫の転勤で神奈川へ行かれ、地元のジョギングクラブに入部して、本格的にマラソンを始められました。 日に日に距離も長くなって記録も伸び、月数回のロードレースに出場し、1996年の10kmレースでは準優勝されました。 これが自信となって、フルマラソンにも挑戦するようになり、さらに記録も伸びて、東京・大阪の国際マラソンを9回連続完走。 現在の自己ベストは2時間59分52秒で、長距離界でも一躍名の知られるランナーとなりました。 三田に戻ってこられてからは、三田市の文化交流にも貢献され、 友好都市であるオーストラリアのブルーマウンテン市で開かれたマラソン大会に参加されたり、 市民ランナーでつくる「三田谷公園ジョギングクラブ」に初の女性会員として加入され、 男性メンバーの中に混じって、「いずれ女性チームを作って大会に出たい」と頑張っておられます。 今年も1月25日に行われた大阪国際女子マラソンに出場され、昨年の肉離れのハンデがあるにも関わらず、堂々完走されました。 今後の益々のご活躍を期待したいと思います。 (文責:谷郷賢明) |
2001年、東京国際マラソンにて。
2003年、第18回銀山湖ロードレースにて。5kmの女子40歳以上の部で優勝されました。
パーティーにて。
左の写真では、2004年の大阪国際女子マラソンで優勝した坂本直子さんが、
右の写真では、小出監督が一緒に写っています。
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