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仲義之 さん (有高4回)

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 好奇心と探求心 加えて汗を流すことをこよなく愛する人。
 何時まで経ってもバイタリティーを失わない人。
 これが私の仲 義之さんの一口紹介である。

 戦後の混乱期の真っ只中、第4回卒業生として昭和27年春に本校を巣立たれた氏は、その直後御父君と東京芝浦で開かれた「全国肉牛共進会」に参加された。 2日がかりで運んだ甲斐あって、8万円で仕入れた子牛が20倍近い、150万の高値で取り引きされた。
 この事が、農業に情熱を注ぎ込むきっかけになったと、目を細めて語られる表情を眺めていると、 半世紀前、なんの迷いも無く農家の後継者の道を選んだ日のことを、ついこの間の事のように思い起こされる。

 仲さんは、三田肉流通振興協議会副会長を経て、現在JA兵庫六甲肉牛生産協議会会長を務められている。 鹿の子まだらな三田肉生産に、長い経験と豊富な知識を活かして陣頭に立つ事55年、今なお寝食を忘れる程の情熱を注いで居られる。
 何処の共進会を訪れても、仲さんの愛牛が上位入賞に名を連ねている。 ごく当たり前のこととして認知されている実績が、それを物語っている。

 ことに近畿の共進会において、最優秀賞に輝かれた栄誉は、たゆまぬ努力と研究心なくしては得られない。 仕上げにはビールを飲ませ、焼酎を吹きかけて、日に何度も何度も流拭を重ねる。
 まさに芸術品と称賛されるゆえんは、努力以外に何も無い。

 此の努力は肉牛以外にも注がれて、特にウドに関しては、栽培歴40年。 最近では早春の風物詩として再々メディアに登場され、まさに三田の顔の様な存在である。

 氏の情熱は、止まるところを知らない。 三田ピーマンが、大阪中央青果で、全国のトップとして長く王座を占めたのも、 年間2500ケースの最多出荷を達成した氏のような、優良生産者に支えられてのことである。

 朝取り苺の盛んな頃は、ひと朝にトロ箱35杯、人間業とは思えない様な実績を残されている。

 時代の変遷と共に共同出荷の時代から全国に先駈けて、地産地消の時代に入り、三田に「パスカル三田」が誕生するやいなや、 野菜生産も重点品目にシフトを転換しパスカルを支える優良生産者の一人として、早朝7時過ぎには、その顔を見ない日は無い。
 こうした経営上の実績を着実なものとする傍ら、農協の理事を務め、現在は野菜部会副会長、パスカル運営委員として 歯に衣着せぬ、氏の持論に何人の者が救われたことか。

 ここで決して忘れてはならないのは、いつも傍らに付き添い、笑顔を絶やさない、秀子夫人の存在である。消費者との対面販売でも最多回数の実績を残され、これからも、御夫婦の睦まじい姿がブースの中に見られる事でしょう。

 一層の研さん努力を祈りながら、氏の紹介の一端とさせて頂きます。

(文責:大西勲)

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ウド小屋。毎年シーズンの時だけ建てられる。

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奥さんの秀子さんと。

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