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田中善慈 さん (有高10回)

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肖像写真

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 今日は(株)トリムレース社長の田中さんに事務局まで来て頂き、48年ぶりにお会いしました。互いに若かりし時代の姿とは変わってしまいましたが、なつかしい高校時代の思い出話に時間を費やしました。
 卒業後単身東京に行き、いろいろ体験され見事会社を創立されるまでのお話を聞き感銘しました。
 同窓生とは時代が過ぎてもいいものですね。(谷郷賢明)


私の原点は旭開拓村育ち

 私の原点は、昭和20年秋に大阪から入植した三田市本庄村の旭開拓で、5歳〜18歳までの間、両親の苦闘振りを兄弟姉妹と共に見て育ったことにあります。
 有高時代は中林先生、長谷川先生のご指導に接したことが印象的で、幸運だったと感謝しています。
 18歳で東京での仕込みの就職も貴重な体験で、よき先輩、後輩、又取引先の優れた方々に恵まれました。35歳で独立創業出来た大きな要素だと思っております。

 服飾レースという特殊な小さな業界ですが、取引先、社員にも恵まれ、本年で31年目を迎えられました。何よりも幸運であったと感謝しています。
 私の経営理念は「事業は人なり」です。22人の会社ですが、本年もヨーロッパを中心に7名の社員が海外研修視察に出張しています。
 「人財は任せてこそ育つ」の信念と、しかしすべての結果責任はトップが引き受けることが当然と考えています。

 現在の私の目標は、業界をリードする人財を何人も育て、社員と共に、協力工場と共に、高付加価値追求企業をポリシーに、圧倒的なリーディングカンパニーになることです。
 「社員の成長と幸福」を目指すことこそ、事業組織の社会的存在価値があるものと考えています。その事なくして、真のお客様満足度のある商品開発も、サービスもありえないと考えるからです。
 「小さくともキラリと光る、社員が誇れる会社であり続けたい」目指すことは、創業者としての責任と考えています。

 14年前にリウマチを患い、頚椎・膝に人工関節が入り、松葉杖歩行の生活になりました。その現状ですので、私自身は、会社にも1週間の内1日出勤する位で、現場のすべては幹部と社員に任せています。
 病になったからこそ学べたことも多く、不便ではありますがある面、私でよかったと考えています。幸運だったとも思います。

山あり谷ありの31年でしたが、苦難の時も耐えられたのは、幼少年時代に、両親の苦闘、フロンティアスピリット、開拓者生活を見ながら育ったことにあると、感謝しています。勿論、妻の支えは基本だったと感謝しています。

(文責:田中善慈)

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