[ 表紙 / 恩師へのインタビュー / 清家静 先生 ]

清家静 先生

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肖像写真

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歓迎されて

  ホームページの取材のため何十年ぶりかにお出会いすることになり、今日の日を楽しみに訪問させていただきました。 会った途端、昔と変わらぬ先生とお出会いでき、懐かしさがよみがえってきました。

  清家先生は、中学校を経験された後、当時の岩佐校長の要請を受け、29歳で本校に赴任されました。
  当初は体育の先生でしたが、翌年は体育と音楽の両方で教鞭を取られるようになり、その後音楽を専門にされるようになりました。 お話の中では、体育の先生である中ノ先生・富依先生・伴野先生のお名前も出てきて、私にとっても懐かしい先生ばかりで聞き入ってしまいました。
  富依先生よりこの学校の伝統である「メイ・ポール・ダンス」を三年生女子全員に指導してほしいと言われた時のことは、今でも懐かしく思い出されるそうです。 聞いたこともないダンスだったので、辞書を引いたりして四苦八苦されたそうです。

  当時はまた、音楽クラブの顧問としても、若き情熱を注ぎ込まれました。 特に歌劇の『真間の手古奈』では、時間を忘れ夜遅くまで、時には厳しく叱咤激励し、中には耐えられなくなって止めて行った部員もいたとか。 その結果、文化祭や県下の音楽教師の前で発表し、高い評価を得られました。
  その頃のクラブのメンバーが、卒業後も4年ごとに集まり、先生を囲んで、当時を懐かしみ、楽しい一時を過ごされています。 メンバーの一人に、本校の現校長・梶谷先生もおられ、今でも「梶谷君」と呼んでいるのですよとのことでした。

  本校では49年まで勤務された後、宝塚東へ転勤され、52歳で退職されました。 その後、大阪青山短大そして保育専門学校と勤務され、今は一日に一回『乙女の祈り』をピアノで弾き、悠々自適の生活を送っておられます。

  若さの秘訣はと伺いますと、

「物事にこだわらないこと」
  そして私の感動した言葉があるのですよと言って紹介して下さったのが、朝日新聞の天声人語にあったという
「人間の体は見ればみる程絶妙に出来ている。
 年を取ったらシワだらけですが、ある時鏡にうつしたらとっても美しいのです。
 さざ波みたいで見とれた位です。
 本当に自然の作ったものは、どんなに小さい事でも無限を感じます」
でした。

(文責:谷郷賢明)

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  我が恩師であり、仲人でもある清家先生には、本校の音楽教育発展のために、大変ご尽力をいただきました。

  先生は、常に「礼」を重んじになり、授業中の私語などは絶対に許されませんでした。 厳しい反面、生徒の悩みや相談には親身になって下さり、よく面倒を見ていただいたことを懐かしく思っております。

  5月18日(日)、宝塚のワシントンホテルで、恒例の音楽部OB会を開催いたしました。 その時の先生の矍鑠(かくしゃく)たるお姿に接して、私たちは元気とやる気を与えていただきました。

  その上、若さの秘訣は「背筋を伸ばすこと」と教えられました。

  創立110周年には、OB会は、先生の伴奏で合唱できることを願っております。

有馬高等学校校長 梶谷正治

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写真 生徒たちに囲まれて。先生は、後ろから2列目の左から5人目におられます。

写真  梶谷正治校長(リコーダー)と合奏した時の写真。清家先生が吹いておられるのはオカリナです。

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