[ 表紙 / 恩師へのインタビュー / 清水怜 先生 ]

清水怜 先生

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肖像写真

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  「昨夜はよく眠れました」と満面の笑みで迎えられ、早速応接間に通していただいてお話を伺いました。
  先生は有馬高校の前身である三田農林学校を卒業後(農林45回卒)、昭和25年に本校の長坂分校に新任で着任されました。 17年間勤務ののち、昭和41年4月に本校に転勤。 その後平成2年3月に退職されるまで、有馬高校で農業科の先生として勤務され、まさに有馬高校一筋の人生を送ってこられました。

  分校・本校を通じて40年間、多くの卒業生を送り出してこられた先生は、いつも生徒にこう言い聞かせていたそうです。
  「どの学校、どの学科を出たかより、その学校、その学科で如何に学んだかが大事だ。
  今何が出来るかをまず考え、免許を取れ、資格を取れ」
  又、
  「これからは科学の時代、そして目に見えない産業革命が起こる」
  も口癖でした。
  退職してから卒業生に会うと、「今になって先生の言われていた事がよく分かります」と声をかけられるそうです。

  先生は農場部長として農業科の発展に多くの貢献をされましたが、 その中でも特に力を注がれたのは温室の一新で、 太陽光線を受けやすい鉄骨アルミの温室が計画され、建設された当時を熱を込めて語られました。 又、清陵会の事務局長としても活躍され、特に創立90周年事業では中心となって動かれました。

  退職後、一年間嘱託として県立播磨高校に勤務されましたが、 その後は悠々自適の生活に入られ、地区の世話や、水稲・野菜作りに汗を流しておられます。
  そんな合間に時間を作っては海外旅行をされており、これまで訪れた国は二十数カ国に及び、特に中国には14回も行かれたとか。 先生いわく「私の遊び部屋」には各国の逸品が所狭しと置かれていて、小さな博物館のようでした。
  見せて頂いたり、説明を聞いたりで、時間の経つのも忘れてしまうような取材でした。 「まだまだ外国に行きますよ」と元気な言葉を聞きながら、先生宅を後にしました。

(文責:谷郷賢明)

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写真  「私の部屋」の一角

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