[ 表紙 / 恩師へのインタビュー / 足立 忠己 先生 ]

足立 忠己 先生

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 静かな山間地帯の中に建つ昔を思わせる屋敷に一歩入ると、玄関にも客間にも、奥さんの心のこもったアジサイの花が生けられ、私達を迎えて頂きました。

 本校では淡河分校(5年)と吉川分校(3年)で勤務されました。特に吉川分校では、私と同じ学年のクラス担任でした。初めての試みである、実習と旅行を兼ねた北海道への修学旅行に行き、それぞれ生徒が分宿をし、リンゴの袋がけ等の実習を体験した、懐かしい思い出話に花が咲きました。

 その後、氷上高校に転勤され、母校に骨を埋めるとのことで、退職まで勤められました。特に、女子バレーの強い学校だったので、それに対抗して女子ソフト部の顧問をされ、地区・県大会でも優秀な成績を収められたそうです。

 地元では、平成8〜9年には地区区長をされ、減反対策としてボタン園造りに取り組まれ、30aの田圃にボタンの苗を1,500本植えられました。

 脳梗塞になられたことから、定年より1年早く平成11年に退職。しかし大きな病気をされたにもかかわらず、すこぶるお元気なご様子でした。

 今は公民館館長をされており、区長時代に取り組まれたボタンが毎年開花して、昨年開園10周年を迎え、大きなイベントが催されました。各方面からの来客があり、沢山の方々とのふれ合いが出来たそうです。

 ボタンの開花時期は短く、開花後の管理が大変で毎日草刈り・消毒に追われておられるそうですが、生えてくる沢山の雑草の名前や特徴を調べる内、それぞれの生き方が理解でき楽しいそうです。

 家では27歳の時に結婚された奥さんと夫婦水入らず、3人のお子さん達は、結婚されたり独立されたりだとか。ご長男は仕事の関係で鹿児島で生活、お孫さん2人に時々会えるのが楽しみだそうです。

 又、時間があれば読書をされ、若き頃から「生きるためには真実を知りたい、その為に本を読む」が信条で、夏目漱石に心酔され何回も繰り返し読まれるそうです。

(文責:谷郷 賢明)

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