満面に笑みを浮かべてご夫婦で私たちを迎えて下さり、第一声が戦争体験からでした。
「昭和17年に入隊し、19年に独立速射砲中隊第四小隊長(少尉)を拝命し、戦歴を重ね、昭和20年に終戦。 戦時中、食糧不足から、魚取り・芋作りに励み、また将校から碁や麻雀を教えてもらったことがなつかしい」 と時の過ぎるのも忘れて、話されました。
復員後、昭和24年、校長倉橋氏から体育の先生として来てほしいと再三に渡って要請され、有馬高校の教師としてスタート。 当時は南北校舎で授業、部活は都合のよい方で実施計画されていました。 職員生徒は一丸となって邁進し、進学、就職、そして部活動が社会から急速に脚光をあびてきた時代でした。
「野球部の顧問をしていたが、何もない時代だったので、用具からすべて自分達で用意してやっていた。 特にバックネットを皆の力でつくったのや。 昭和25~26年頃、当時優勝した学校と一回戦でしたが、1対0で惜敗し、その戦いぶりが新聞で讃えられたことが懐かしい」
また、相原校長(昭和33年~)、酒井校長(昭和38年~)と二代の校長の下で、サーモンピンクの堂々たる校舎・体育館・グラウンドが完成し、それに参画出来た事も良き思い出にされていました。
その後、昭和40年に有馬高校から中学校の教師へと異動され、最後は校長として長年の教師生活を終えられました。
退職後は、村の役員として、又、碁会・退職公務員・北区体育協会の世話人として活躍され、今はご夫婦で健康に楽しく過ごしておられます。
最後に何かメッセージはと聞きますと、 「歴史ある有馬高校で十数年勤務できた事を誇りに思うと共に、更なる発展と幸多い将来をお祈りします」 とのことでした。
(文責:谷郷賢明)
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