時代に合ったLED看板の制作・設置の有限会社シーテック

 各種看板の制作をされている桑田さん親子を訪ねて、三田市四ツ辻のお仕事場を、訪問させていただきました。三田松聖高校野球部のグラウンドを目指し、その横の道を入ると、すぐにわかりやすい巨大な看板が出迎えてくれました。

 桑田幹彦さんは園芸科に入学され、2年生のときに仲間とサッカー同好会を立ち上げられました。同好会は、一年間の活動実績が必要なので、実績を積んで3年生のときには見事に部として昇格しました。当時のことは、印象に残っていて楽しい学生生活の思い出だそうです。今でもそのお仲間とはお付き合いがあるそうです。

 体育祭では、棒倒しで大変盛り上がって過激になりエキサイトしてしまい、なぜか翌年は玉入れに競技が変更になったり、修学旅行のスキー実習では、すぐにコツをつかんで、上級者用のコースを滑走したりと運動神経の良いところを発揮されました。今まで数多くの生徒を指導してきたインストラクターの方も、その上達ぶりに大変驚かれたそうです。また、軽音楽同好会にも所属され、ギターやベースを担当、音楽室で練習する毎日だったそうです。

 卒業後は、看板屋をされているお兄さんの手伝いを経て、御自身で1991年に三田市高次に中央テックとして創業、三田市香下砥石川に工場設立、1996年には有限会社シーテックに改組設立し、現在の三田市四ツ辻に工場・事務所を移転されました。

 各種サインデザイン、カッテングシート加工、インクジェットシート加工、LEDサイン制作など、皆さんよくご存じの一度は利用したことがある有名飲食チェーン店や、新規店舗の看板一式取り付けなど、多種多様な内容のお仕事で近畿一円はもちろん、東北、北陸、四国、九州などの国内、さらにジャカルタ、台湾の海外までお仕事の範囲を広げ、グローバルな規模での御活躍です。台湾のアウトレットパークの大型観覧車LED照明設置では、実に一か月も現地長期滞在されたそうです。幹線道路沿いなどでは、大きい看板が乱立し流行った時代もありましたが、現在はデジタルの時代なので、小さくても写真に撮ったものを広告媒体として活用される企業さんが多いそうです。照明も昔は蛍光灯でしたがLEDが出だしてからは、あっという間に広まり、今まで不可能だった加工もできるようになってからは、多種多様な看板になり、蛍光灯時代は内部の取り換え作業も当たり前のようにありましたが、LED普及でそれも無くなったそうです。そして現在はついに3Dの飛び出す看板もあるそうです。実際に動画で東京のテナントビル看板で、猫が動いて飛び出てくるように見える看板を拝見いたしました。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で主人公のマーティに、ジョーズ19の3D看板からサメが襲い掛かるように見えるシーンがあるのですが、まさにそのものの迫力でした。ついに映画の世界の看板が、この時代に登場した感じです。看板も平面なものから、蛍光灯の内蔵された箱型看板、そしてLEDの鮮やかな看板そして、3D看板と近年の大きな技術進化はもの凄く、表面のコーテングで耐久年数も確実にアップしているそうです。

 お仕事場も、ユニック車や高所作業車、カッテングシート、インクジェットシート加工の機械など今まで見たこともない大きな機械が、作業場である建物に所狭しと並べられて、御自身で渡り廊下なども増設されており、テーマパークやアスレチック場のような楽しい空間でした。その一つ一つを丁寧に説明していただき大変勉強になりました。実は30年ほど前に、三田青年会議所主催の小学生の相撲大会「わんぱく相撲三田場所」の横一文字看板を、桑田さんにお願いしたことがありました。その時も相撲独特の文字書体の説明や看板に関するお話など、長時間語っていただいたことがあり、何事にも非常に熱心に取り組まれていたのを今回の取材で思い出しました。

 お仕事以外では山登りがご趣味で、マスターズマラソンに挑戦されたりと、何事にも意欲的な桑田さんでした。 

桑田 港さん

 幹彦さんの三男の桑田港さんは、平成20年4月に総合学科にご入学、2年からアドバンスクラスという、国際コースで三田市と姉妹都市提携している、オーストラリアのブルーマウンテンズの高校生をホームスティで受け入れたりと、国際的な学生生活を送られました。卒業後は関西外国語大学に進学され、オーストラリアに行かれて交流を持たれたそうです。

 小さいときから“物づくり”が好きで、家具の本場である岐阜県の飛騨で、木工技術の職業訓練学校でも学ばれ、家具メーカーにも就職されました。趣味も、木工作業だそうで、登山や語学(スペイン語)も勉強中で意欲的な毎日を送られています。2年前より「シーテック」でお父様と一緒にお仕事をされております。もの静かな雰囲気の港さんですが、内に秘めたお仕事に対する情熱はしっかりと感じさせていただきました。

 なお、港(みなと)さんという名前の由来は、港というのは人が集まってくる場所なので、そのような人間になってもらいたいという意味であると幹彦さんから教えていただきました。親子で一緒の職場で多種多様な内容のお仕事。時代とともに変化する看板。看板は実に奥が深く、今後大いに発展する貴重な情報源です。今までは何気なく見ていた看板も、これからはじっくりと、その作業工程を想像しながら大事に見ていきたいと思います。

                                                            (執筆 谷口 真弥)