西畑さんが清陵会事務局に来てくださり、インタビューさせていただいた。お住まいの道場町の『道場ニュース』からの取材があり、「ひと☆探訪」で「<自彊>唄と踊りで生涯交流の輪づくり!」と題して紹介された。またJA兵庫六甲の『Wave Rokko』vol.228では、「みんな!集まれ~♪六甲ひろば」誌面に“歌で元気を届けるパフォーマー!”の見出しでこだわりの趣味が紹介された。『Wave Rokko』は広範囲に配布されるため、西畑さんの存在が遠方の人にも知られることとなりました。
西畑さんが小学校を過ごしたのは、太平洋戦争中から戦後。道場国民学校(1941年に改称)に入学、運動場ではさつまいもを栽培していたそうです。体育の授業といえば、学校の開墾した農園で畑仕事。歌は得意で、当時の小学校の音楽は歌う試験であったため、よい評価を先生はつけてくれたそうです。そして現在、いろいろな機会に歌を披露されています。
話を伺ったのは6月5日、その1週間後には神戸市北区老人クラブ連合会主催の歌の発表会を控えていました。毎年、6~7月ごろに神戸市立北区民センターすずらんホールで開催されています。この会には10年以上前から連続して出場。ステージでは、モニターを見ない。歌手にあわせ、たとえば(浪曲調の歌が好きで)村田英雄や三波春夫のときは和服、袴を穿く。北島三郎のときはスーツ姿。扇子を持って動きながらいっぱい舞台を使う。この衣裳やパフォーマンスが聴衆に人気のようです。寺の世話をする係りになったときは寺関係の催しに出演。隣の三田の縄手区敬老会からも声がかかり出演。道場の恒生病院の施設では、4人で毎月第三水曜日(1年12回)に訪問して歌を披露。
毎年11月3日は、JA兵庫六甲道場支店と道場連合自治会が共催しての文化祭。多目的ホールでのふれあいフェスティバルに毎年出演。このフェスティバルの実行委員も務めているそうです。
8月は道場小学校近くで盆踊り。ここでは30年近く音頭をとり続けている。小さいとき、子どもながらにやぐらの上で音頭をとるおとなを見て、自分もやりたいなあと思われたそうです。盆踊りのトリは三田音頭。三田も道場も有野も「旧有馬郡」、そのことからか道場でも藤原台でも三田音頭、ここでも音頭をとられている。道場で音頭をとるのは現在西畑さんひとり。他地域から友人を呼んでやぐらの上で音頭をとる。
20数年前からあちらこちらから呼ばれるようになったそうです。そのときどきで変える舞台用の衣裳は、三田の店で仕立ててもらったり譲り受けたりして少しずつ増やしてこられた。普段、毎日、家で練習しているわけではないそうです。
レパートリーは広く、小畑実とか岡晴夫の「憧れのハワイ航路」も歌うが、好きなものは演歌と民謡。「“道中もん”(道中物)“股旅もん”(股旅物)はいいね」と仰る。村田英雄の「無法松の一生」、ディック・ミネの「旅姿三人男」、上原敏の「妻恋道中」などなど。
最後に道場で唄われる道場音頭について伺いました。西畑さんが、1996(平成8)年に「道場小唄」を採り入れて創られたそうです。「江州音頭」と同じ節で唄う。「道場小唄」は1951(昭和26)年に発表(作詞大谷舟丁)された。道場の名所・名物が多く詠みこまれています。百丈岩・百間滝・鎌倉峡・千苅・厄神・光明寺・正福寺・西林寺・月見橋・たんぽぽ城・道場米など。せっかくなので1番と29番を紹介しましょう。

1 ハァーア 桜ちらちら道場の町はネ ヨイヤサー ほんに絵の様にほんに絵の様に 夢の様に ソレ ヨイトコナー ハ ヤレコノセ ヨーイ ヨイ ヨイ ヨイトコナ
29 二月賑わう厄神様でネ ちらと見染めたちらと見染めた娘を嫁に(以下はやし同じ)

西畑さんは今年で82歳になられた。今年からは道場町の老人会会長に就任。ますます芸に磨きがかかり、公私ともにご活躍されんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(執筆 上垣正明)