藤間流の名取として活躍されている足立三千子さん
7月中旬の気温が38℃もある暑い日、お稽古帰りの足立さんにお話を伺いました。
以前から、毎年11月に郷の音ホールで開催されている舞台で剣舞を舞われる足立さんのファンとして、ぜひとも高校時代のお話を伺いたく、ご無理をお願いしました。
足立さんのご自宅は、有馬高校正門の真ん前に有り、最も学校に近い生徒でした。小さい頃は、お母さんが有馬高校で買って来られた牛乳や野菜を食べて育ったそうで「有馬高校はすごく身近な高校でした」と言われます。そのころ、近くの友達と天満宮の奥様に習われた踊りのお稽古が大好きで、それはそれは、熱心にお稽古をされていたそうです。
中学を卒業して、当たり前のように有馬高校に入学した頃は数学が大好きで、将来の夢は「薬剤師」でした。担任の先生は高島先生、大好きな数学は三宅先生。クラブには入らず、まっすぐ家に帰る帰宅部で、とにかく一生懸命勉強にはげまれました。クラスは9クラスあって(一クラス50人くらいはいた)二年生になると、5、6組が商業、9組が進学クラス、7,8組はどちらにも行けるというクラス分けで、9組に入って勉強ばかりされていたそうです。「下に妹と弟がいたので、なんとしても授業料の安い国立に行きたかった」と言われます。
それでも、体育祭には応援団でクラス対抗の応援をみんなでしたこと、女子は手に紙で作った花をつけて、踊りながら最後に集まってトーテムポールを作る競技があったことなどなつかしく思い出されます。
そんな風に毎日コツコツと勉強をしていた 三年生の時に、進路指導の先生から「神戸銀行の採用試験を受けてみないか」と声をかけられて、腕試しのつもりで受けたところ合格。先生の推薦でもあるので、卒業後は神戸銀行に就職することになりました。しばらくお勤めをしてから、結婚を機に家庭に入られました。それからは、ご両親と叔母様、そして娘さんも生まれ、にぎやかで大忙しの日々を送っておられました。
その後、ご主人、お父様、叔母様、お母様と次々に介護が始まり。足立さんはそれらを一手に引き受け奮闘されていました。そのころのことも、足立さんは「忙しいけれど、充実していた」と言われます。
そんな忙しい日々の中ふと、ずっと好きだった踊りをもう一度やりたくなって、お教室を探されたそうです。そして、藤間流の舞に出会い、すぐに入会されました。先生から「好きなだけでは続かない」と言われた厳しいお稽古も「本当に楽しかった.生きがいだった」と言われます。先の見えない介護も、「好きなことがあったおかげで乗り越えられた」と。その後は、名取となられ「一の葉千日秋」という名を頂き、今は年に5回の舞台をこなされています。
ご主人、叔母様、お母様を看取られ、ゆっくりと自分の時間を過ごされていると思いきや、今はボランティア。三田地区の県民交流広場であるじばやん倶楽部で子ども食堂のカレー作りを担当されています。それ以外にも、三田小学校の放課後教室で、子どもたちと宿題を一緒にしたり、ミシンのボランティアや社会見学のサポートをされたりしています。
「今が一番幸せ」と言われる足立さん。その幸せはすべて、今までのがんばりがあってのことだとつくづく思います。ちなみに薬剤師の夢は、娘さんとお孫さんがかなえて下さったそうです。
これからも体に気を付けて、ご活躍を期待しています。

