person1「教師生活全てを母校有馬高校で終えて」
私は、昭和23年から63年までの教師生活を、全て母校の有馬高校でお世話になりました。

40数年の間に数回異動の話がありましたが、幸か不幸か、恩師・先輩の校長に恵まれ、離任希望しては叱責助言を受け、結果的に最後まで勤務できて幸せでした。

この度喜寿を迎えました。 三田は第二のふるさとです。 特に本町通りを歩きお店に入りますと、すぐに卒業生に声をかけられ、懐かしい話に花が咲きます。 思い出が多すぎて感激一杯、涙もろくなり言葉になりません。

はじめて勤務を拝命したのは、県立三田農業高等学校の時代です。 その後、三田女子高等学校と合併、校名変更で現在の有馬高等学校になるまで色々とあり、大変でした。

高校の1回生(昭和5年と6年生まれの方)を、昭和24年3月にお送りしました。 赴任1年目は体育も担当しましたが、特に後輩弟分に負けたらあかんの一念で、格技の有段者資格を取得しました。 1、2回生の農業科の皆さんの中には、県大会で中距離・短距離走の上位入賞、軟式テニスも関西学院大学からのお招きもあるほどでした。

勉学面では、昭和30年代に、阪大・京大・神大・早稲田など立派な進学実績が出ました。 農業科の14回生の皆さんが家畜審査競技大会で優勝されたのも、良い思い出です。

昭和50年代になると、有馬高校は就職で「有馬高校の生徒さんにぜひ来て欲しい」と会社の方に言っていただけるまでになりました。 就職指導部長を長年務めてきただけに、感慨もひとしおです。

長年教職生活を続けてきましたが、悪い子供はいない、みんな天からの授かりものだと思います。 どんな教師にとっても教え子はかわいくて仕方がない。 あふれる愛情が生徒の人生を方向づけるエネルギーになります。

退職後、第一のふるさとで酒米(山田錦)作りに力を注ぐ一方で、 自治会・農業会のお世話をさせていただいたり、就職指導部に所属していた関係で、会社などへ下手な話にいったりしています。 体の機械も古くなってあちこちが故障していますが、多くの卒業生の皆さんに出会えて、今日も生きていて良かったと思う毎日です。

坂本 昴