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高校時代の思い出

担当は常深先生で、一年生の時は本館建設中で、続いて南館など次々と工事が続く三年間でした。卒業後は自営農業で多角的経営をすべく三年間園芸科で野菜や花の勉強をしました。クラブ活動は野球部に所属し、一年生の時には、野球部の先輩に「早く帰りすぎる」と叱られたこともありますが毎日7時40分の最終バスで帰る毎日でした。

卒業後は、県立農林講習所へ進学しさらに園芸に関する知識、技術の習得に努めました。

ちょうどこの時に、自宅農地が高速道路で減少する計画が持ち上がり、工事の完了までどの程度の規模で農業ができるのか判らないことから農協の営農指導員として就職をしました。

 

卒業後の思い出

農協の営農指導員として園芸の盛んな稲美郡で、県農出身の専業農家を相手に多様な野菜を市場出荷のため栽培する産地育成に昼夜を分かたずに活躍をしました。

当時は他に見られなかった第1次農業構造改善事業による圃場整備を実施して大規模経営モデルの育成を始め、大面積圃場活用による野菜などの園芸作物生産についての技術指導と市場取引に走り回りました。この時に導入した野菜類が今でも産地として大々的に栽培をされています。その後、第二次農業構造改善事業、新農業構造改善事業をはじめ多様な補助事業を活用して集出荷施設の整備や大規模園芸ハウスの導入などを行い野菜産地の拡大に取り組みました。特に「いなみのメロン」の導入については県内に事例がなく、苦労しましたが、農家との信頼を一番築いて、充実した仕事のできた時だと思っています。

その忙しい中で27歳の時に結婚し、子宝にも恵まれ家庭と仕事の両立を図ってきました。

農協を定年退職した後は、兵庫県の楽農生活センターで、農業を目指す人を対象に野菜栽培の技術を教えています。

地域でも、老人会や隣保長をはじめ様々な役員を頼まれ、毎日を忙しく飛び回っています。

(執筆:中西重喜)

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