KSC男声合唱団や太極拳でご活躍
 近づく春を感じさせる暖かい日に、喫茶店で取材をさせていただきました。
 上吉川町から友人と2人で自転車通学1時間あまり。学校が終わるとすぐに帰宅することになり、クラブをすることができなかったこともあって、クラスでは印象が薄かったと思うが、居心地の良い学校だったとお聞きしました。

 高校時代の印象深い思い出は、入学以来ほとんど木造校舎でのホームルーム教室だったが新校舎が建設され最後に新しい教室でわずかの期間勉強できたことが印象にのこっている。2・3年の担任は山田先生(社会科)で、8組は希望があれば進学するというクラスであったので進学を希望されました。当時も進学は大変で普段の授業だけでは進学には間に合わずに長谷川先生・山田先生に放課後、世界史や数学を補修をしてもらいありがたかったと感謝しておられました。

 そしてアルバムを見ながら当時の学校行事などのお話を聞きました。
 修学旅行は九州で(別府から宮崎、阿蘇等)阿蘇は後に新婚旅行で行かれたとのことでした。体育祭では仮装行列で女装したこと、当時は体育館もプールもなく、運動場も今の体育館の場所にあった。美術の授業で校舎裏の古風なレンガのゴミ焼き窯を描いて賞に入ったこと。授業では柔道で受け身を教えてもらったこと。学校単位か学年単位だったか不明ですが長距離走(約1万メートル)があり苦しみながら完走できたことなどを話していただきました。

 関西学院大学経済学部に見事に合格。

神戸市役所就職。
 神戸市では36年間様々な業務をされました。(企画、調査部門、港湾関係、行政区の街づくり、外郭団体業務、環境対策業務等)
 中でも1995年1月の阪神淡路大震災で“区の災害対策本部”での復旧、復興業務に携わられました。

60歳定年退職後
 神戸市シルバー人材センターで5年間を過ごして完全退職。
その後、神戸市シルバーカレッジに入学(退職後の目的探し)
 カレッジでクラブ活動「KSC男声合唱団、太極拳」に出会う。
神戸市シルバーカレッジは設立後間もなく阪神淡路大震災が起こり、当時のカレッジの学生たちが災害復旧に携わったこと、カレッジに多くのボラティアグループが生まれ、カレッジの建学精神「再び学んで他のために」を実践するグループとして活動している。そのまとめ役としてNPO法人社会還元センター“グループ わ”が設立され、カレッジ卒業後、理事、副理事長、理事長等役割で7年にわたって“グループ わ”携わってこられました。

・現 在 【小畑 浩昭さんの言葉】
  KSC男声合唱団への入団および太極拳を始めたのはカレッジ入学間後で14年間つづいている。私も年を重ね、老いを意識せざるを得ない頃を迎えているが、合唱も太極拳も老いを防ぐよいものである。
 昨年の10月にKSC男声合唱団の第8回定期演奏会を無事開催できたが
 私が団長を務めたこの2年間は“コロナ禍”でそうした中で開催できてよかったと思っている。
 この演奏会に有馬高校の同級生の多くの方が聴きに来てくれたことは本当にうれしかった。この仲間は月1回「湯につかり、昼食をともにしながらひと時を過ごす」、そんな集まりを楽しんでいる。私もこの仲間に入れてもらっている。(高校生時代には考えられなかった。)
 社会から第一線を退き今後の生き方が問われる中で、合唱でボラティア活動ができたり、体力作りが出きたりと良いものに出会えたと思う。そして何よりも多くの友人、仲間ができたこと。
 「フレイル(虚弱)」という言葉がある。フレイルを防ぐには”食事”、“運動”、“社会性”の3要素で特に社会性…人とのかかわりが重要と言われている。
  これからも、人とのかかわりを大切にしたいと思っている。

                          (執筆:羽渕和美)