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今回、私の恩師である岡先生宅を訪問することになりました。
1週間前からお会いできる日を楽しみにしていました。普段はご無沙汰ばかりしていましたので、お会いしたら何とお詫びをすれば良いものかと、不安一杯でお伺いしました。
「こんにちは」「いらっしゃい」「お久しぶりですね」と会話が始まり、ほっとお顔を拝見すると、昔とまったく変わらない元気一杯の先生のお姿でした。
「お年は何歳になられましたか?」「81歳と4か月」と答えられました。「ご家族は?」「3人の子供と孫8人」と元気一杯、幸せ一杯に満ち溢れた笑顔でした。
お身体も今まで健康そのもので、病気としては白内障の手術をされたことだけだそうです。

先生は昭和26年の2学期から有馬高等学校に数学と物理の先生として勤務され、全日制で16年、定時制で10年の計26年勤務され、50歳で家業に専念すべくご退職されたそうです。在職中は教師としては勿論のこと、その他にも組合関係の仕事等も大変忙しかったようです。退職後も3年間、西宮市山口公民館主任として地域に多大な貢献をされました。

最初に、有馬高校での思い出についてお伺いしました。
一番の印象に残っていることは、ブラスバンド部(吹奏楽部)を作られたこと。
その当時、先生は生徒会の顧問をされていましたが、熱心な新入生からブラスバンド部がないので部を設立して欲しいと強い要望が出て、生徒のあまりの熱心さに心を動かされたのだそうです。最初は同好会から立ち上げ、部に昇格されました。その熱心な先輩の方々は今も、東京の大学や宝塚で、現役で活躍されているそうです。
指導者のいない部活を支えるために、中学校の先生にお願いして、夏休みに1週間の特別指導・訓練をしていただいたことも、忘れられない思い出だそうです。

次に担任としての思い出は?
私は岡先生に、3年間担任をしていただきました。
当時は1クラス55人の大人数でした。しかし、「担任をしてそんなに負担は感じなかったですね」とのお言葉をお聞きし、ほっと胸を撫で下ろしました。
岡先生のご指導の下、何をするにもよくまとまったクラスであったと思います。例えば、球技大会や体育大会があるとわかれば、毎日放課後の練習や準備に全員が取り組み、結果は優勝でした。
また、私達のクラスは男子が少なく女子が多数を占めていましたが、そんな中、3年生の最後の役員選挙の時、少ない男子全員が役員になってしまったこともあります。(女子のまとまり?)
ちなみに、その役員名簿を職員室に持っていき学年に提出された岡先生は、それをご覧になった学年主任の先生に、「この選挙結果は何だ?」と厳しく注意されたのだとか。(今は昔、そんなお話ははじめてお聞きしましたが……)

 ?十年前の話に花が咲き時の経つのも忘れて2時間余りが過ぎてしまいました。
懐かしく楽しい一時を過ごさせて頂いたお礼と、お元気にご活躍くださいますようにとご挨拶をし、先生宅を後にしました。本当にありがとうございました。

(文責:稲葉 昌子)