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「最後の担任をした3年8組は良いクラスでした」と話される先生は、昭和48年に県立尼崎高校から本校に来られ、いきなり3年8組の担任を命じられました。

前担任への思いが残る生徒達にとけこむのに少々時間もかかられたそうですが、進学に向けての学習合宿、個々の進路相談、夏休みには全員の家庭訪問と、先生の意欲的な取り組みに生徒達との強い信頼関係が出来、大学進学にも大きな成果が出たそうです。卒業後も度々クラス会を開いたり、相談に来てくれたり、喜寿を祝ってくれたりと8組の思いを熱っぽく話して頂きました。

又、翌年から3年間、学年主任として取り組まれた当時の学年団の先生方のことも、懐かしく話して頂きました。

本校では4年間お世話になり、その後、淡路農業高校の分校担当の教頭として転勤され、さらに伊丹北高校で教頭(4年)・校長(5年)として9年間勤められ、昭和62年に退職されました。

80歳になられた今は、県退職校長会理事と丹有地区公立学校退職校長会会長の任に就かれお世話されています。

昨年、奥さんが、大腿骨骨折で股関節機能全廃となり、家事全てが出来なくなり、先生が代わって家事をされたと聞きその大変さがうかがえましたが、1年経った今は大分良くなられたそうです。先生ご自身も腰椎の治療で整形外科に週2回治療に行かれておられるそうです。

3人のお子さん達はそれぞれ結婚し独立されており、3人ともあの阪神淡路大震災で全壊・半壊の被害に遭われたそうです。全壊の被害を受けられた長男が、今は先生のご自宅近くに住まわれており、奥さんの怪我の後、よく世話をしてくれますとのことでした。

(文責:谷郷 賢明)