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平野 隆夫さん (有高32回)

御自宅からすぐ近くの、三輪会館にて取材させていただきました。昔から体格が大きかったので、先輩からすぐに歓誘されて柔道部に入部し、2年生で初段を取り、丹有大会などでも御活躍されました。柔道部の思い出としては、夏の合宿で朝にグランドを走るのですが、とにかくしんどかったそうです。クラスは造園科で、3年間橋口先生にお世話になりました。修学旅行では、長野県の戸隠スキー場に行ったのですが、1組の1班のゼッケン1番だったので、開校式で大きな校旗を持たされたのが良い思い出だそうです。

平野さんは有馬高校から初の力士として、在学中の昭和55年1月に新弟子検査を受けて、花籠部屋に入門されました。きっかけはお父様が仕事で熱海の旅館に行った際に、そこの旅館の社長さんが花籠部屋の後援会長をされていたので、話がまとまったそうです。当時の花籠部屋は、横綱の輪島や関脇の荒勢などがいて、50名ほど在籍しているとても活気のある部屋だったそうです。一日の生活としては朝5時に起床し、掃除のあとの朝稽古が昼前まで延々と続くのですが、完全な縦社会なので古い独自のしきたりと、なかなか高校から入門する人間がいない(大半は中学からで、それ以外は大学の学生相撲から)ので、とても苦労したそうです。入門後はすぐに親方から四股名「峻嶺(しゅんれい)」を付けられ、番付では序二段まで行かれました。なお、3月の大阪場所では、神戸新聞の取材があり期待の郷土力士として紹介もされたそうです。

その後、東洋ベアリングに入社、そして現在は阪和工業で人工芝の製造、施工などをされております。地元の三輪地区でも御活躍で、ちょうど取材したのが三輪神社の夏まつりの前日だったのですが、お忙しそうにされておりました。

趣味は温泉旅行で、北陸や岡山などまで愛車を走らせてよく行かれるそうです。

実は平成10年の夏に、わんぱく相撲全国大会が東京の両国国技館でありましたので、その際にも練習などで元力士の平野さんにお世話になりましたが、その時も子どもたちに体当たりで熱心に指導され、子どもらも大喜びでした。今回の取材でも相撲の話題になるととても熱が入り、いろんなお話を聞くことが出来ました。

(文責:谷口 真弥)

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