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柳川 正廣さん (有高25回)

事務局に来ていただき、いろいろとお話を伺いました。

5組で矢野邦彦先生が担任、同好会であった剣道部に入部、丁度その年、剣道界では名のある河南先生が国語の先生として着任され顧問をされたことから部に昇格させるため中心となって頑張られ、3年生の時、部に昇格。そして主将にもなられ地区・県大会に個人・団体戦に出場出来るまで部も充実し、特に女子の方は成績も上位を占めていたそうです。1、2年次は道同好会のため稽古場所が無く、1階下足箱脇のコンクリート通路上や体育館裏の空き地、体育館のステージなど空いているところを探して練習したこと、3年次部に昇格したことから新築の剣道場を使わせてもらえるようになったことは、40余年後の今も決して忘れることできない思い出だそうです。剣道部以外にも、3年間を通して良き師・良き友にも恵まれる本当に充実した毎日を過ごすことができ、また、体育祭、クロスカントリー、高三でのバザー(たこ焼き屋)など、学年やクラスでの多くの思い出が想起こされるそうです。

卒業後、龍谷大学文学部に進学、剣道も続けられ、高校の時に二段、そして、大学で三段となられ最終的には四段の実力。大学卒業後は、名古屋市内にある市邨学園高等学校に国語科の教諭として3年間勤務、その後、本校の定時制の常勤講師として2年間勤務、さらに、その後西宮市にある甲子園学院中・高等学校国語科教諭(21年間)、幼稚園事務長(7年間)として28年間勤務され55歳で退職されました。

同居している義母の介護をと早く退職され介護をされる傍ら、自治会の世話係や神戸市の市政アドバイザーなどのボランティア活動に取り組まれ、整体師の資格があることから自宅の一室で「整体の部屋・ほっと塩屋」を開きお年寄りを対象にやられているそうです。

本校定時制1年目、26歳の時、父親の紹介で小学校の先生をされていた彼女と結婚され、学校の傍らの傍示山の近くで新婚時代を送りましたと懐かしく話していただきました。一男一女のお子さんに恵まれ、長男は結婚、長女と夫婦の3人家族、お母さんは施設に入られ、毎日顔を見に行っていますとのことでした。

(執筆:谷郷賢明)

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