s-105_1

神沢亀貴 先生  (昭和25年~昭和35年) 化学

神沢先生が元気でお過ごしと聞き訪問。

早速にお話をお聞きしました。
本校には25歳の時着任、懐かしい先生方の名前も出て楽しい思い出ばかりですと言われ、当時の岩佐校長はアイディアマンで、農業科でチーズを作ろうと言うことで、チーズを作り県へ持って行き喜んでもらった事、グランドが狭かったことから、南側の竹藪をつぶし、生徒と共に一ヶ月程かけて拡張した事、また、三木からの通勤では神戸電鉄を利用されての通勤、乗車客も少なく、電車内でよく勉強をされたようです。

分掌では担任が多かったそうですが、一番に思い出す教え子は元気者で、よくできて、家にも行ったことがあり西浦道雄と聞き、ビックリ、現清陵会会長の恩師であると分かり、さらに話が弾みました。

35歳まで勤務、その後、転勤されるのですが、数校勤務される中で、県農では食品加工科の設置に力を注がれたり、氷上農高では県で初めてとなる北海道への体験実習を兼ねた修学旅行を実施されたりと活躍され、神戸通信教育青雲高校では校長となられ、東播磨高校長を最後に35年の教員生活を終え退職されました。
退職後は老人大学の始まりである、いなみ野学園・高齢者放送大学の学長をされ、各地の老人大学設立に向け努力され、又、文部省へも高齢者大学の説明に行かれたそうです、

結婚は有馬高校の後半の頃だったかナと話され、4人のお子さんに恵まれ、今は歯医者をされている一番下の息子さん夫婦と同居されており、孫二人との6人家族、今は、いなみ野学園の学長時代からとり組んでおられた折り紙に打ち込まれており、作品も沢山出来、昨年個展を開かれ、三木市長から御祝いの賞状を受けられました。

今は、健康のためと朝夕1㎞のウォーキングをされており、電気自動車にのり、買い物に・講習会等に行かれるのも楽しみの一つだそうです。
87歳とは思えぬ元気さ、西浦くんによろしくの言葉を背に受け、失礼しました。

s-105_2

 

 

 

 

 

 

 

s-105_3

 

s-105_4

 

 

 

 

 

 

s-105_5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(文責:谷郷賢明)