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有馬高校には、新卒から10年間お世話になりました。学生気分がなかなか抜けず、頼りない私は多くの方々に多大なご迷惑をおかけしました。しかし、そんな私を温かく見守っていただいた当時の有高の先生方、そして生徒の皆さん方には本当に感謝しています。この機会に心より、当時のお詫びとお礼を申し上げます。

さて私は40歳ぐらいの時、ふとしたことがきっかけで、アジアの仏教遺跡を巡る旅を始めました。

(1)綿パン・Tシャツにリュックを背負い、(2)一泊10ドル以下のゲストハウスに宿泊し、(3)町の大衆食堂で食事する、ことを旅の条件にしています。いわゆる「中年のバックパッカー」というやつですが、これがまた楽しいのです。皆さん方もぜひどうぞ―─。

先年、ビルマ(ミャンマー)中南部にある「ピー」という街をひとりで旅しました。ピーは古代遺跡と仏歯が祀ってあるシュエサンドーパゴダ(仏塔)で有名な街です。当時の旅日記をもとに、この街で出会ったあるひとりの人のことを紹介して近況報告とさせていただきます。


≪パゴダの街で≫ ―旅日記より―

パゴダの参道を上がって礼拝所へ入ろうとした時、中にいた35歳ぐらいの小柄な男が話しかけてきた。
日本から来たと私が伝えると、男は嬉しそうに言った。
「日本語少し分かります。」「この街にいた日本人に教えてもらいました。」「このパゴダを案内しますよ。一緒に歩きましょう。」
ありがたいことだと思った。この人の案内で廻ることにした。4~50分もの間、彼は境内を丁寧に案内してくれた。一廻りしたのでお礼を言って別れようとしたが彼は、
「出口まで一緒に行きましょう」
と言いながら付いてくる、付いてくるというより食い下がってくる感じだ。この男は境内を案内した代わりに何かを要求してくるのではないか―、ふと嫌な予感がした。
参道を下って出口まで来た時、彼は近くに止めてあったサイカー(サイドカー付き自転車)を指さしながら、
「これは僕のです。宿まで送るよ。」
と言った。
やっぱりそういう魂胆か、どうも親切すぎると思った。 客引きが目当てやったとはなあ……。私はがっかりした。しかし長時間ガイドしてくれた人の申し出は断りにくい。渋々乗ることにした。

サイカーを漕ぎながら彼はいろいろ話しかけてきた。
「僕はこの仕事をする前、小学校の先生でした。」
「その時の月給はいくらだったと思いますか。」
「わずか1200チャットですよ。」(チャットは現地の通貨単位、1200チャットはその当時で600円弱)
「家族5人、食べていけなかったので、仕方なくアルバイトでサイカーの運転手をやっていたらね、いつの間にかこちらが本業になってしまった。」
「この仕事で7000チャット稼げます。贅沢をしなければ、何とか家族5人やっていけます。」
いくらこの国の物価が安いとはいえ、先生の給料が600円とはひどい話だ。一日も早く、子どもたちへの教育活動が正当に評価される国になってほしいと切に思った。
車はあっという間に宿に着いた。車を降りて、高く吹っかけられるのではないかとビクビクしながら、
「車代、いくら払えばいい」
と訊ねた。
「いいよ、今日は楽しかったから―。これは僕のプレゼント。サヨナラ!」
彼はさっとサイカーの向きを返し、風のように去っていった。
思いがけない言葉に、私はポカンとして彼を見送った。お礼の言葉も言っていないし、名前も聞かなかった。それにもまして彼の善意を疑ったことを恥ずかしく思った。
宿の部屋に戻って夕食代わりのパンとバナナを食べながら、私は何度も彼のことを心に思い浮かべた。

(荒木 孝典)