吉川病院の事務長としてご活躍
師走の晴れた暖かい日に三木市吉川町の「吉川病院」に大沢辰美さんの紹介で大沢さんと事務局2名で訪問しました。事務長としてのお仕事の合間を縫っての取材でした。医療法人社団 敬命会 吉川病院は病床数316床で内科・外科・整形外科・リハビリテーション科・皮膚科がある。

卒業アルバムを見ながらの取材でした。ご本人はやんちゃな時代だったそうなのでいろんなことが徐々に蘇っておられるようでした。
1年の担任新家先生2・3年生は梅本先生、梅本先生とは卒業してから会ったことは何度かあり、森沢先生が学年主任で指導されたことが特に思い出される。同窓会は10年ほど前にされました。有馬高校への通学は40分ぐらいかかったとのことでした。
部活はバレー部で3年間やり遂げ、最後の試合では丹有地区戦で良い成績で勝ち無事に引退のはこびとなりました。
体育祭では、3年の時は応援合戦を主となり、当時流行りの一世風靡SEPIAをソイヤソイヤと応援、バク転もすることになり、練習ではマット上、本番ではグラウンドの土の上で、「出来るようになるものですね」と高校生の顔になっていました。部活のリレーにはもちろん出場と活躍でした。色々なことを思い出され感慨深げでした。

文化祭では、バンドを5名で結成して道場の友人の家の倉庫で練習、ベース・ギター・ドラム・ボーカルご本人はベースで参加して、始めてベースを演奏することになり、練習をし、体育館で演奏。チェッカーズやARBなどを発表され青春を謳歌されました。 

修学旅行は黒姫高原スキー場、ホテルで宿泊した。スキーは殆どの人は初めてだったがすぐに上達して最後には滑れるようになった。

卒業後は就職。神戸市北区三共金型製作所に2年→有馬温泉中の坊瑞苑(アルバイト)3年間→22歳で吉川病院に就職→33歳で事務次長→事務長となり今で33年目となる。
就職当初は医療材料の担当10年。病気や多種多様な医療機器を覚えるためには、目で見る、触れる、使っているところを見る、医療従事者に聞く、など勉強されて今に至っているとお聞きしました。職員や患者の送迎・施設管理や営繕業務・施設の管理などなんでもなさったそうです。
事務長になられてからは今のコロナの3年間が特に難しい対応に迫られて苦慮なさったとか
病院は施設基準に照らして施設・人員が適応されるので人員を確保するために様々な工夫をしまし。現在外国の方の介護職員として働いておられる。(ベトナム・モンゴル・ネパール・インドネシアなど)吉川病院は外国の留学生に奨学金制度を使い病院で看護職員として働く方々を支援している。(現在はアルバイトも含めて43人が働いておられる)
日本語学校→福祉専門学校(2年)をへて国家試験に合格の運びとなる。

趣味はゴルフだったが、新型コロナウイルス感染拡大からは医療従事者としてとにかく感染しないのが原則なので残念ながらこの3年間は出来なくなりました。収束すれば、ゴルフや飲み会など思いっきり楽しみたいです。
家族のことは
奥様とは有馬温泉の瑞苑で知り合ってご結婚。
子供さんは3人運動が好きで部活の試合応援で楽しまれたと伺いました。

                                 (執筆 羽渕和美)