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播磨農高を退職されて10年

教え子奥川先生の「淡河中の横の道を上って一番奥の家や」の言葉を頼りに、神足さんと出かけました。言われた道を上がっていくと田圃の間の分かれ道ばかり、感を働かせてそれらしい新築の大きな家にたどりつき、西浦と書かれた表札を見てほっとしました。
玄関を開けると、私にとっては何十年ぶりになるか懐かしい笑顔で迎えていただきました。そして、挨拶もそこそこに思い出話に花が咲き始めたときに、奥様が出てこられ、途端に神足さんがびっくり。何と以前から良く知っていますと、お二人の高校時代までさかのぼって話が弾み、楽しい一時が過ぎました。

先生は専門が畜産で、当時農業科では鶏・牛・豚が飼育されていて、鶏の育雛当番では生徒を泊まらせ時間を忘れて話し合った事や、牛・豚の出産の手伝いをし驚いた生徒の様子、又、傍示山へ牧草を取りに行き、牧草の中に雉の卵を見つけて持ち帰り孵化した話に熱弁をふるわれました。
又、軟式テニス女子部の顧問として放課後は毎日汗を流され、当時は先生方が沢山出てこられて部員の相手をしてもらえたお陰で部は強かったそうです。

昭和51年4月に県立播磨農高に転勤され、10年前に退職。
退職後は1.7ヘクタールの田圃の米作り、栗(40本)・イチジクの栽培の傍ら、地区の役員を務めてこられました。現在もお寺の建築委員長・民生児童委員と多忙な毎日を送りつつ、月2回ほどゴルフに行くのが楽しみにしておられるとか。
お孫さん2人の6人家族で、病気をすることなく楽しく充実した日々を送っていますとのことでした。

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奥様とご一緒に

 

 

 

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ご自宅の玄関にて

 

 

(文責:谷郷 賢明)