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今日は300年の歴史を持ち、石庭や樹齢150年銘木しだれ桜等で知られる、 静寂爽涼、花鳥風月が楽しめる高平の大覚山方廣寺(注)へ、7年前に退職された鈴木慈子先生を訪問しました。

門前に着き、車から降りて本殿の方に目をやると、歴史を思わせる木々が立ち並び、 その間をゆっくり歩いていくと心身の引き締まる思いがしました。 元気なお姿で迎えていただいた先生と、大木がそびえ景観の素晴らしい本堂の前に座り、お話を伺いました。

このコーナーは恩師へのインタビューですが、先生は本校の卒業生(有高7回卒)でもあるため、高校時代の話になり 「私が勉強に打ち込めるようになったのは、一年生で担任していただいた家本先生のお陰で、特に化学が好きになりました」 と懐かしそうに話されました。

先生は、本校夜間定時制に7年間勤務され、はじめて担任された生徒はとても印象に残っており、 「今も家に来てくれたり、クラス会に招かれたりで良く会っています」とのことでした。
その後、本校全日制の方へ変わられ、ここでも担任や部活で苦労しましたが、楽しいことも多くありました。 授業では世界史が中心でした。どうしたら考えてくれるだろうか、暗記ではない歴史をめざして、 高校時代の恩師の指導方法を思い出しながら工夫し、頑張りました。
昭和50年代後半頃には進路指導部長を務め、一心に生徒の進路に向けて取り組まれ、 「進路の保証で苦労しました」とのことでした。又、図書部長もされ、利用しやすい図書館を目指して取り組まれました。

退職後は住職である妹さんを手伝いながら、広大な庭掃除をされたりで、 「生活が全く変わってしまい、いっとき10kgも痩せたのですよ」 とおっしゃいました。久しぶりにお会いしたので話が尽きず、後ろ髪を引かれる思いでお寺を後にしました。

(文責:谷郷賢明)

大覚山 方廣寺(ほうこうじ)

由来
今から約300年前(江戸初期)中国福建省の黄檗山萬福寺から、 はるばる来朝した中国僧隱元禅師が、 後水尾法皇、徳川幕府の尊信を得て純中国風の本山(宇治黄檗山萬福寺)を開創。 その時、幕府の名を受けて建立奉行を勤めた摂津麻田藩(豊中市)の二代藩主青木甲斐守重兼公が、 所領のうち最も幽寂景勝の地に黄檗山を模して、大覚山方廣寺の七堂伽藍を創建し、 師の黄檗二代木庵禅師を開山に仰ぎ、自身も落髪後二代住持端山禅師となり、天和二年当山で遷化した。

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門の一つ。

 

 

 

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上と同じ門です。秋になると、樹齢250年のもみじが色づきます。

 

 

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竜安寺式石庭

 

 

 

 

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