2019年に新進落語家競演会で新人賞
この度定時制の授業で平成31年2月19日(火)17:40~19:00清陵会館の会議室で総合的な学習の時間「三田学講座」に講師としてお願いしました。お話の演題は「落語家という仕事~人を楽しませる魅力~」で、お話と高座をされた。突然でしたが快くうけてくださいました。
この講師のお話はサッカー部の友達の紹介で、定時制の先生との縁が出来てなったものです。

関岡さんの紹介
2003年有馬高校を卒業され、その後大学に進学そして、1年間吉本お笑い養成所NSCで学ばれました。
2009年に「現六代目桂文枝」に入門し、プロの落語家をめざす。
2019年に新進落語家競演会で新人賞を獲得される。

有馬高校での生活
当時の有馬高校は総合学科で12クラスあった。体育の時間も充分あり、体育三昧の日々を過ごされました。
「高校時代の思い出はサッカーしかしていない。次々と経験することに夢中で、振り返ることが本当になくて」と話されたが、徐々に思い出が蘇って来た様子で、懐かしい思い出話を聞くことが出来ました。
担任の先生は大林先生でした。力強く励まして下さり、お世話になりました。
サッカー部の顧問の先生は大前先生で、第一印象は厳しく大人扱いで、中学時代とは違うのだと自覚した。サッカー部に入ったきっかけは、中学からの友達と体験入部して楽しかったし、それなりにサッカーが出来たので流れで入った。当時のサッカー部としてはそんなに強くはなかったが、勝ちたいという気持ちが強かった。試合では何時も無理してしまうタイプでした。
マラソンの時も疲労骨折を持ちながらも柿原先生の励ましで奮起して、2年生の時2位になった事が記憶に鮮明です。
その後、疲労が蓄積してしまった頃、部活動が出来なくなった時、柿原先生が運動場で一緒に走ってくださり、「早く怪我を治してサッカー部に戻ってこいよ」と励まされたのがうれしくて、青春の一ページです。

取材中に定時制の体育の教諭である柿原先生登場で、サッカーの話が楽しそうで友人に会ったという感じをうけました。さすがサッカーで結ばれた人たちです。
『柿原先生の関岡君の思い出は、三田学園との試合でフリーキックを決めたという出来事だそうです』
そして、スポーツ指定校推薦で、大阪産業大学に入学、4年間サッカーを頑張った!根性で!
大学時代はサッカーの基礎を徹底して練習したとのこと。何事も次のステージ上がるには、基礎基本が必要と気付かれた故でした。(現在の落語の世界も同じで基礎を繰り返すことで身につくものがある)といい話をお聞きした。

噺家仲間で修学旅行の話になると、「シンガポールに行きました」「なんでシンガポールやねん」他の兄弟子の方々は国内でした!

文化祭では焼きそば屋台だった「よってって」を出店した。焼きそば長蛇の列でものすごく売れた。楽しかった。

大学を卒業して吉本NSCに入った。1年間養成所で学び、全国から600人の中から最終的には150人ぐらいになっていた。厳しかった!「厳しい環境に入ってしまったと思ったのが正直なおもいでした」なにくそ!お笑いのセンスがあるか!にかかっている勉強になったと聞き、落語に対しては向上心があるので、(サッカーで培ったもの)背伸びをしないで一歩一歩着実に進む事を目標としておられます。

その後、お話と落語を生徒さんと聞かせて頂き楽しくておもしろい時間を過ごしました。
ご家族は奥様と二人です。
(執筆 羽渕和美)