[ 表紙 / 恩師へのインタビュー / 家本治正 先生 ]
有高7回卒業アルバムより
家本治正先生は、私が昭和26年有馬高校に入学し担任として出会った恩師です。 肺気腫と言う難病を患われて20年、酸素ボンベが手離せないお暮らしとお聞きして、おそるオソルお伺いしました。 「酒はいいネー!!」と仰有る先生は、2ヶ月に一度僅かずつ嗜まれるそうで、 81歳と思えないお元気な笑顔でベッドに身を起こし迎えて頂きました。 満面の笑みで招じ入れてくださった奥さんの "こちらに来て2年半、環境の変化を案じましたがお陰で入院もせずに・・・" とのお言葉にホッと胸をなで下ろした次第です。 先生の御父君は、三田町(有馬郡)の町長をお務めと聞いて居りましたが、 乞われての御就任だったそうで、いつまでも神戸から通いの町長とはいかず、 三田に居を移されたのが三田との御縁の始まりと承りました。 御夫婦お揃いで岡山の出身とのこと、 "お二人のロマンスは" と水を向けましたが 「お互いの祖父同士の紹介で見合いです」 と軽くいなされました。 その瞬間、お二人の一瞬の表情から何か良い思い出が通り過ぎた御様子でした。
今回の転居は将来を考慮し、お嬢さんとのお互いの負担を軽くする為の決断とお伺いしました。
当時のアルバムを持ち出して、ページを繰りながらもの想いに耽っておいでの先生の胸中には、一体何が去来したのでしょうか。 言葉にしてくださったのは師範学校の先輩後輩として仲の良かった辻前・畑古先生への追憶と、 ソフトボール部の顧問をなさっておいでだった頃のこと等。 私もアルバムに、懐かしい数多くの恩師の先生方や、初めてみる当時の先生方の教育現場の様子を拝見させて頂きました。
「先生のお陰で理科や物理が好きになりました」こう言ってはばからない同級生がいます。
訪問して約一時間余り。南向きの窓から差し込む明るい日差しの中、
御夫婦の何気ないやり取りがかわされ、静かに時間が流れていきます。
口にはされませんがお二人には、20年に及ぶ介護する人とされる人として、大変な時期がおありだったでしょう。
(文責:大西勲) |
[ HOME ]
Copyright (C) 2002-2007 清陵会 All rights reserved.