本校に最初に来られたのは昭和25年、当時の定時制主事畑中先生の要請でした。講師として2年間、ダンスの指導をされました。
その後、神戸大学で認定講習を受け、養護教諭の資格を取り、昭和43年から本校の養護教諭となられました。
常に生徒のため、教職員のための思いで仕事をされ、保健室では数多くの生徒たちがいろんな面で、教職員も公私に渡ってお世話になり、たよりにされた先生であり、又母親的な存在でした。
「私の仕事はいち早く生徒の健康状態を把握することです」
とのことから、他校にない健康チェック方式を、修学旅行や集団訓練に取り入れ、事故のない安全な行事が実施されていました。
又、早くから献血運動に取り組まれ、その成果が認められ、学校が県から表彰を受けるなど、その実績が県下にも知れ渡り、県の養護教諭の理事長を7年、又近畿の常任理事も務められました。 しかし、多忙な日々の中にも生徒中心に考えた行動をされていました。
平成4年に退職後、湊川短大の客員教授として10年間勤務されました。 その後は、ボランティア活動として緑の環境クラブに所属し活躍され、そのかたわら若い頃から親しんでおられる謡曲に時間を費やし、毎日を忙しく過ごされています。
最後に後輩たちに一言とお願いすると「青春時代は二度と帰ってこない」とのことでした。
清陵会事務局にて、事務局長と一緒に。
(文責:谷郷賢明)
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