当時の高校進学といえば、有馬高校がほとんどの進学先でした。
人生を振り返った時、やっぱり高校時代が一番懐かしく、いい思い出とともに自分の将来の生き方を考えたのも高校時代でした。
当時の私は人と接するのがあまり得意でなく、図書委員を坦当して、休憩時間はほとんど図書室に直行していました。
当時、図書司書をされていた、網元澄子先生にすっかり傾倒して充実した毎日でした。
3年生だったか記憶が定かではないのですが、文学部(同好会だったかも)を立ち上げたんです。
文化祭で「星の王子様さま」をやろうと提案し、神戸の丸善にまで本を探しに行き、劇の脚本、演出?もやりました。
舞台の構成から衣装まで皆でワイワイ言いながら遅くまで準備したことがとても懐かしいです。
周囲から、何で文学部が演劇をするのかと陰口を言われましたが、やりきった喜びで、なぜか校庭で輪になって黙っていた時、主役の王子さまを演じてくれた後輩の子が泣き出したのです。
そして、皆もつられて泣いた事を鮮明に記憶に残っているのです。
やりきった感動でうれしかったのでしょうね。
卒業後は、誰かの役に立つ仕事をしょうと保母の資格を取るため、武庫川女子短期大学に進み、その後は、大阪の吹田で8年間、三田の国立療養所の職場保育所(現代は国立病院機構中央病院)で13年間、看護師さんたちの子どもの保育に専念しました。
でも、看護師さんの職場は24時間勤務、私も3人の子供を育てながらの同じ母親労働者、子育てしながらの仕事の厳しさは大変で、共に労働条件を良くするために頑張りました。
そして、もっと、医療や福祉が良くなるよう、子どもたちの未来がステキになることを願って、
三田市会議員にならせていただきました。
一歩一歩進んで21年間その役割を終えましたが、これからも、平和・いのち・くらしを守って
歩み続けたいと思っています。
現在は、生活相談所を開設して「なんでも相談会」また「学生食糧支援」など、少しでも社会を良くしたいと走りまわっています。
(執筆 大沢 辰美)