前清陵会事務局長で、泉さんが有高当時柔道部でお世話になった谷郷先生のお宅を訪問された際にお話を聞きました。自宅からも近く農業に興味もあり将来は温室で花栽培をやってみようかなとの思いから有馬高校園芸科に入学されま
した。担任は羽淵先生 当時は、まだ目にすることも珍しかった農場の大温室や温室栽培のカーネーションなどが印象に残っているそうです。クラブ活動は一年生の夏ごろに縁あって兄姉が担任だった谷郷先生から声をかけられて柔道部に入部され少人数ながらも真面目にコツコツと練習に取り組まれ地区大会でも活躍され県大会にも出場されています。また丹有地区で優勝する選手を育成するため夏休みにおいても学校での練習や夜には町の道場で練習するため、谷郷先生が家まで迎えに来られたことが在学中、最も印象に残っているそうです。卒業後の進路についても谷郷先生の助言もあって、昭和50年4月に兵庫県警察を拝命され、同51年4月に尼崎北警察署を振り出しに成田空港警備隊、生田警察署、三原警察署で勤務され、特に、交通部交通企画課では阪神淡路大震災の発生に際して、広域交通規制の対策に従事され、被災者の生活の確保に奮闘されております。その後は警察署の交通課長、交通機動隊長、網干警察署長、交通部参事官兼交通企画課長を最後に兵庫県警察を退職されております。退職後は、神戸の保険会社に就職されるとともに、自宅では趣味のガーデニングや自家野菜の栽培などに精を出す傍ら、地域の協議委員、宮総代、JA総代などに就任され、地域においても活躍され、まだまだゆったりと過ごせていないのが現状のようです。今も谷郷先生と懐かしくお話される真面目な姿は、数十年経っても高校当時と何ら変わっていないのがとても印象的でした。


(執筆 岩野 弘明)