令和5年春の叙勲において、保護司として長きにわたりご活躍し、たゆまぬ努力が報われ、今回栄えある藍綬褒章を受章されました永塩様に高校時代の思い出や卒業後のあゆみを執筆いただきましたのでご紹介します。

卒業致しまして早や60年の歳月、在学中の懐かしい思いが甦ってきます。
通学はバス、通勤の方と一緒で何時も満員、車掌さん、バスのドアに摑まっておられる事もありました。
登校初日、忘れえぬ出来事は担任の先生より『クラス委員』に指名を受けた事です。
不安と期待の中教室へ(新校舎でした)高校生として自覚を持ち責任ある行動を取るよう訓示され、人任せの私は「大変だなぁ~」と戸惑い頭が真白になりました。
 授業の中で一番印象に残っているのは、1時間目の体育、三田盆地特有の朝霧、前を歩く人の姿がボンヤリ見える程度(当時は今より全国的に平均気温が低く、冬は三田小学校の前の大池に厚い氷が張っている事もありました)。自習となり、友達とグランドで遊んで、これが授業かな~と首を傾けました。
 子供頃から、日本舞踊・三味線、小学校でお琴、中学に入りピアノ・ギターと習い事が好きで通っていました。
 部活は勿論音楽クラブ、今迄耳にした事のないクラシック音楽に、すっかり魅了され、先輩のピアノ伴奏に乗せて発声練習、文化祭に向け部員一丸となり猛練習、その甲斐あって強い絆も生まれ大成功の内に納められました。部活終了後も清家先生の厳しい特訓を受け、外が暗くなっているのも忘れる位一生懸命で、将来は音楽の道へとも考えるほどでした。今振り返り、苦境に負けず立ち向かう勇気と力を教えられ、今の自分の根限となっています。貴重な経験と有意義な時間だったと感謝しております。
 卒業後、両親の反対で進学を諦め、涙を飲んで大阪の百貨店に就職、仕事の合間を縫って夜学へ(進学出来なかったのが悔しくて)一年後に日商簿記検定に合格、近所の商店の経理の手伝いや記帳指導をしていました。
 知人の紹介で結婚、主人の建設会社に経理として再就職、二人の息子に恵まれ、子育て中に技能士資格を取得、仕事の忙しい時期には重機のオペレーターとして従事していました。
 平成12年吉川町役場(現在三木市)より『再生保護支援を』と依頼があり、私にも手伝う事が出来たらとお受けしました。
 『立ち直ろうと努力する人』には、経済力と居場所の確保が不可欠です。仕事を見つけ自立するのは簡単な事ではありません。県下の再犯率は50%を上回っています。犯罪予防は社会全体で取り組まなければなりません。健全な社会づくりは地域の皆様の深いご理解が必要です。社会復帰に向け、偏見なく温かな見守りとご支援を宜しくお願いします。
 『誰一人として取り残さない』社会づくりを目指し活動を続けていきたく存じます。最後になりましたが清陵会の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。