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北野 喜博さん(有高20回)

神戸市北区淡河町を東西に走る県道沿いにある、立派な整備工場と車両展示場を持つ自動車整備販売店(株)キタノオートに、代表者の北野喜博さんをお尋ねしました。

早速に有高時代の思い出をお聞きすると、家は今の仕事とは全く関係なくブロイラーを飼われていた農家で、あまり深く考えることもなく農業科へ。勉強のほうはさて置き、とにかくよく仲の良い友人らと毎日遊び回ってましたねぇとのお答え。

1年生では早速、免許を取って軽自動車で通学されていたとか。このことだけでも驚きですが、当時はその車を皆さん、校舎のピロティに停められており、同じ淡河から来られていた西浦先生に「お前が先に停めるから、わしが停められん」とよく言われていたそうです。その後あまり車が増えすぎたので、仕方なく農場に停めたそうですが、今では考えられない話で、返ってそれだけ大らかな時代だったのでしょうか。

他に農業科には、農場当番や泊まり当番もあって、友人らと遅くまで騒いでいたのも良き思い出とか。高2からは、車好きの実習助手の方の下、放課後に農場で車の分解や修理など、好きな者が集まって毎日遅くまで、同好会のように楽しまれていたようです。

上の学校への考えは無かったので、卒業と同時に、興味の湧き出した自動車関係の「兵庫日産」へ勤められます。得意の整備はもちろん、何事も勉強と積極的に営業もやられたとか。その後、益々仕事が面白くなってくると同時に、自分でやってみたいという想いが抑えられずに、昭和55年に独立を夢見て退社されます。

その後、資金面や市街化調整区域に整備工場を建てるなどと、色んな難問が出てきたようですが、ひたすら熱心に一つ一つクリアーされて4年の準備期間を経て、昭和59年、今の場所に念願の(株)キタノオートをオープンさせられました。

その後、誠実なお人柄や加えて人望もあって、順調に仕事を続けられています。

何より増して、嬉しいことに、7年前より息子の将太郎さん(有高47回)も有高卒業後、ホンダの専門学校を経て「ホンダプリモ」で腕を磨かれ、現在は喜博さんと共に自動車の整備の仕事に就かれています。

退職された昭和59年には、地元消防団の代表として、半年に及ぶ苦しい訓練に耐えられて、見事その年の消防ポンプ操法兵庫県大会で優勝もされました。現在は、地区の農会長、そして県下初のゾーンバスの運転手をもちろんボランティアとして克って出られています。

穏やかな口調と相まって、出てくる有高時代の数々のエピソード。その中から興味の湧かれた自動車関係に自ら突き進まれ、さらに上を目指して独立。巷でよく聞くような話ですが、実際にはそんなに簡単に出来るようなものではありません。その源が有高時代に培われたことをお聞きして、同郷の同窓生としてこんなに嬉しいことはありません。願わくば、在校生の中からこのようなガッツ有る生徒が出てくれれば良いのですが。

ピロティの前で、生徒と先生が車の置き場所で口論していたなんて考えただけでも吹きだしてしまいます。このお話を聞いて、次回有高へ行ったときには、玄関前で今日のお話を思い起こすことでしょうね。

 帰り際に、私の古い車のことでお尋ねすると、親切に判りやすく教えてくださいました。お近くの方で、車のことで困ったことがあれば相談されればいかがでしょうか。きっとお力になってくださいますよ。

(文責:岩野弘明)

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